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神山雄一郎の四年つづいた二着、とその翌年
数多のタイトルを掌中にしている神山雄一郎(栃木61期)にとって唯一、未だ届くこと叶わぬ称号がグランプリ王者であるが、今や競輪界のレジェンドなる尊称をも賜る神山がその覇に「一番近づいた」四年間をフィーチャーしたい。
平成七年十二月三十日、立川競輪場--。あと二周の赤板で吉岡稔真(福岡65期)ラインが押さえるとすかさず神山、更に三宅伸(岡山64期)が被せるという頻繁な出入り。が、ピッチはスローのままだ。あと一周を残す附近から東西横綱劇場の幕は開く。逃げる神山VSカマシ捲り吉岡の画には興奮させられた。寸前も寸前、吉岡が神山をとらえた「力の両立」はこれまたドラマであった。
平成八年同月同日同地--。この年の神山は頼もしき十文字貴信(茨城75期)と一緒だった。誰もがハコ廻り絶好とおもいきや、道中はちょっとばかりからまれ気味も、そんなこと苦にする神山ではない。最終バックから強烈な捲りを放つと、二センター前団好位の小橋正義(岡山59期)が絶妙のスイッチ、直線半ばに発生した大量落車もあり両者のマッチレース様相となるも、最内を伸び勝った小橋の右手が高々と挙がった。
翌年の立川は冷雨の悪コンディション--。打鐘すぎ神山が正攻法に立ちスローに落とすと、最大のライバル吉岡が中団で落車のアクシデント。場内騒然のなか、腹をくくった? 神山が一周先行敢行も後ろはもつれ、神山-山田裕仁(岐阜61期)と奇しくも同期の二人で最終バック線を通過する。無風の山田に四角から(当たり前だが)おもいっきり踏まれ、神山三度の二着は嘆きの雨となった。
平成十年は立川バンクの長い直線が神山に味方したかに……勝利の女神はまったく気まぐれである。山田裕仁-山口幸二(岐阜62期)の先行策は想定外だったのか、神山は内に詰まりながら位置を探す状態。やっと抜け出した時点でもう残り半周ちょっと、しかも児玉広志(香川66期)と押し合いへし合い激しく競った末の四番手だ--これはいかにも厳しいな(ホーム・スタンド四階から観戦していた筆者の感想である)……。しかし――! ハコ無風の山口が抜け抜け出したところに黒帽二番車神山が閃光の猛襲--。届いたのかァ(峻烈な興奮が筆者を襲った)--? ゴール直後の神山がどうだァと内側の山口の顔を見やるや、山口から確信に満ちたガッツ・ポーズが繰り出されたのでありました。
もちろん十数回グランプリを走っている神山雄一郎のことだから、ほかにも惜敗は幾つもあるのだが、この四年間の「二着二着二着二着」の痛惜は格別であり、彼以外に誰がこんな「記録」を残せよう、ともおもい、前述した神山、吉岡、三宅、十文字、小橋、山田、山口、児玉の名前以外にも、激闘の要員を担った井上茂徳(佐賀41期)、滝澤正光(千葉43期)、松本整(京都45期)、本田晴美(岡山51期)、東出剛(千葉54期)、鈴木誠(千葉55期)、高橋光宏(群馬56期)、濱口高彰(岐阜59期)、高木隆弘(神奈川64期)、後閑信一(群馬65期)、海田和裕(三重65期)、加倉正義(福岡68期)ら「性格俳優」を配剤した、競輪の神様の導きを感じずにはいられない。
エピローグ--もしかしたら五年つづけての二着もあった--?
翌平成十一年の神山雄一郎は日本選手権競輪、オールスター競輪とふたつの特別競輪を制覇、暮の大舞台に堂々と、当たり前のように出場する。新星の太田真一(埼玉75期)を目標に得たのも大きなアドバンテージと視られ、「悲願のグランプリ制覇だ神山雄一郎」の大見出しが各スポーツ紙におどったのであるが……。
当日の神山は阿修羅のごときマーク屋に「変身」した。まずは最終ホームでイン競りの小倉竜二(徳島77期)を厳しくキメて(小倉は落車)、二角すぎに吉岡稔真のカマシをブロック、二センターでは金古将人(福島67期)のドンピシャの捲りをも止めてしまったのだ。ゴールは神山の「大仕事」に助けられた太田の逃走劇、二着三着は余力をふり絞る神山と渾身の中割り児玉広志の写真判定となった。
神山のグランプリ四年連続二着が競輪党の語り草になっているとして、どこか誰かとその話になったとき筆者は、ちょっとだけ斜にかまえ、二着、二着、二着、二着の翌年の三着失格、太田の番手で八面六臂のあの神山が一番すごかったンだ--と口を挟まずにはいられない。