月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
大ギヤ時代の競輪と、その先駆者、山崎芳仁と――。
平成期の競輪を語るとき、避けて通れないものの一つに、選手が選ぶピスト・レーサーのギヤ倍数に、重大な変遷が起こったことが挙げられよう。
大ギヤといえばロートルが回転数の衰えを補うためが相場だった。むろん四倍内外ギヤのカマシ一発屋は昭和期から存在はした。ドカンと行ってしまえればいいが、駄目なら離れた殿9着。幾人かの選手名も浮かぶが、何せ昔のことで記憶は怪しい。まあ、それとて際物の扱いは否めない。その「際物の大ギヤ」が特別競輪の常套手段となってしまったのだから驚きである。
今号は、長年月、当たり前のように標準だった「3.57」「3.64」のギヤ倍率に変革をもたらした一人の先駆者、数年で四回転の寵児ともてはやされるまでになった男、山崎芳仁(福島・88期)列伝を基軸に、大ギヤ時代の競輪をフィーチャーしてみたい。
山崎の特別競輪初戴冠は平成17年12月、平塚開催の〈ヤング・グランプリ〉で、使用ギヤ倍率は3.71だった。同競走の他選手のギヤは「57」6人、「64」1人、「71」1人である。因みに山崎とおなじ「71」を使っていたのは和田健太郎(千葉・87期)。本題とは逸れるが、先日、和田の〈グランプリ2020〉出場(もちろん初選出)が決定した。彼の「長い旅」に祝意を表したい。
閑話休題――。この時点ですでに山崎の「大ギヤ志向」は充分にうかがえる。
後年、というか数年後にはもう、山崎の「四回転」がハジけるわけだが、ここは一呼吸置き、当年実施された特別競輪の内、6つのGIレース決勝進出の各選手が使用したギヤ倍数を確認する。〈3.57=25名〉〈3.62=1名〉〈3.64=21名〉〈3.69=5名〉〈3.71=2名〉……「57」「64」がほとんどである。更に五年さかのぼっても比率は変わらない。もちろん稀に「71」とか「77」――平成11年の湘南ダービーの鈴木誠(55期)と東出剛(54期)の千葉連携はともに「3.77」だった――の使用例がないわけではないが、やはり際物に近い印象は拭えない。
平成18年の山崎は2月の伊東競輪場〈GII・東日本王座戦〉を優勝、6月の大津〈高松宮記念杯〉では嬉しいGI初制覇を成し遂げる。両競走ともヤング・グランプリ同様に3.71のギヤを使用、他の選手は57か64ばかりだ。只一人、佐藤慎太郎(福島・78期)だけが69で走っているが、これはあくまで山崎マークゆえと考えられる。
平成19年、山崎は更に三つのタイトルを重ねる。
1月の〈小倉競輪祭〉は3.71のギヤで逃げ切り優勝。このレース、一発屋の三ツ石康洋(徳島・86期)が3.92とギヤを掛けているが、他7人は57か64とオーソドックス。周りの選手もまだ山崎の「71」をさほど意識しているようには見受けられない。
8月の函館〈ふるさとダービー〉は山崎が「四回転」(4.00のギヤ)で大レースを制した記念すべき大会となった。相手選手のギヤは佐藤慎太郎が77(これは多分に山崎マーク用と云えよう)、他は57から69とあまり変化はないが、「四回転の豪快逃げ」はファンにも選手間にも峻烈なショックを与えたに違いない。
4ヶ月後の12月、熊本〈全日本選抜〉は又又四回転パワー炸裂(目まぐるしい展開になったが「最後の最後」に大ギヤがものを云う)でGI優勝だ。興味深いのは対戦選手のギヤ倍数――過去にもっとも使用頻度の高かった57はゼロ、62から69が4人、小嶋敬二(石川・74期)、神山雄一郎(栃木・61期)、平原康多(埼玉・87期)の一流どころ3人が「71」を選んでいる。トップ戦線の選手間でも「大ギヤ」が意識され始めた証左となろう。
平成20年の山崎は7月の前橋〈寬仁親王牌〉一冠だけ。レースは福島勢4人の固い結束もあり、番手捲り作戦で山崎の圧勝だった。室内の短走路ということもあるのか、各選手のギヤは57~69が6人とおとなしめ?であるが、山崎芳仁、平原康多に限っては「4.00」「3.85」だったことを附記しておく。
翌平成21年の山崎は、1月の小倉〈競輪祭〉を「4.08」、8月の大垣〈全日本選抜〉と10月取手〈共同通信社杯〉の両開催は「4.17」で優勝している。取手では吉岡稔真(福岡・65期)が所持する10秒7のバンク・レコードに並ぶタイムを叩き出した。
このころになると競輪界は着実に大ギヤ志向に舵を切ったと云えるだろう。山崎に追従するかのように四回転を使用する選手も増えた。
平成22年の山崎は念願の地元GI制覇を果たす。いわき平〈オールスター〉優勝後に山崎は語っている。「今まで優勝したGIを全部足しても足りないくらい嬉しい」と。このレース全員のギヤ倍数を記す。「4.08=1人」「4.00=3人」「3.93=1人」「3.92=1人」「3.86=2人」「3.71=1人」――。因みに山崎は4.00を使用、4.08で走ったのは吉田敏洋(愛知・85期)である。
翌平成23年からの26年の四年間で山崎の特別競輪優勝は24年9月の前橋〈オールスター〉一度だけ。88期の福島スター軍団「渡辺一成-山崎芳仁-成田和也」の固い結束が記憶に残る一戦だ。山崎は「4.33」の特大ギヤで堂々と「番手の競輪」をこなした。このレースでは9人中7人が四回転以上のギヤで闘ったことを附記しておく。
いよいよ、まさに、大ギヤ時代の全盛である。更なる四回転フィーバーは一線級選手の大半に及び、「4.42」「4.50」等の超特大ギヤまで登場させるが、いつからか、苛烈する大ギヤ競輪に規制の声があがり始めた。
"平成27年の競走から男子選手のギヤを「四回転未満」の使用に制限する"旨の発表があった日付の記憶は曖昧だが、規制寸前の大レース(平成26年11月と12月)となった〈競輪祭〉〈競輪グランプリ〉が四回転オンパレードだったことは憶えている。調べてみると、競輪祭の深谷知広(愛知・96期)只一人が「3.92」、あとは全員「4.08~4.42」の四倍以上であった。
四回転時代最後のグランプリ王は武田豊樹(茨城・88期)、使用ギヤは4.33だった。奇しくも山崎芳仁とは同期生の間柄である。
翌平成27年2月の静岡〈全日本選抜〉はギヤ規制後初めての特別競輪ということもあり、選手もファンも迷いの中での開催となった。ファイナリスト9人が選んだギヤ倍数は見事に「四回転未満」ぎりぎりの――3.92及び3.93だった。
優勝は何と2年間タイトルに縁がなかった山崎芳仁!使用ギヤ92による八番手捲りだった。山崎がイエロー・ラインの更に外を突き抜けたのを視認した時、(そうだ。山崎は元祖大ギヤ・マスター!71から始まり、四回転の前から常に先を往く探求者だったのだ。昔の競輪に較べれば充分大ギヤの92と93の対決なら、お手のものだよなぁ……。)と、膝を打ったのを忘れないでいる(完)。