月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
とれた位置から~平成競輪コメント考~
 平成期の競輪史において、「女子競輪の復活」=「ガールズケイリン誕生」は、三指にはいるトピックであろう。
 トラック競技「KEIRIN」の規則に準拠して実施されるガールズケイリンは、いかなる公営競技となりうるか(もちろん開始以前のプレ大会など大づかみに宣伝されてはいたが)、おおいなる興味をいだいたものだ。早々からガールズ選手たちに使われはじめた「とれた位置から」という作戦コメントは、やや奇異、でもユーモラス、ちょっと新鮮でもあった。
 「とれた位置から」はいったい誰の考案発案なのだろう。もしかすると過去の男子選手から発せられたこともあるのかしら。たとえば「まわれるところから」という常套コメントと親和性は高いけど、この場合は、「まるで位置がない・かつ競ってまで主張する気もない」という意志の吐露に近い。ガールズケイリンは、規則上の制約により最初から何某マークとはいえない(いいにくい)ゆえの、苦肉の、しかし、マーク寄りの戦法をとるガールズ選手にとっては、最適の、コメントなのかしれない。実は「とれた位置から」というコメントには、ガールズケイリンという競技に欠かせないエッセンスの一部がふくまれている。そう気づくのにそんなに時間はかからなかった。
 ガールズ選手のコメントに刺激されるように?男子からも女子からも新種の作戦コメント、レース後談話が出てくるようになった。
 自在に自由がくっつき「自由自在」、まるで参考書の名前だ。似たようなニュアンスで「好きに走る」を挙げるが、「自由自在」に走るには相応の脚力と技術が必要だから、言葉を投げたような「好きに走る」とは実質が異なる。
 「がんばる」「やれることをやる」「なにかします」等々はガールズ以前から使われていたようだ。あぁ「一生懸命」も同系列だな。
 異系も探そう。ガールズの「動く人の後ろ」と男子の「先行の番手」。前者は理想を喚起し後者からは意志が伝わる。似て非なるコメントと記せば意地が悪いかしら。
 話は横道にそれるが、ガールズ選手にかぎらずとも、最近のいわゆるキラキラ・ネームにはお手上げで、フリガナなしでは読めないこと多々だ。
 インターネットもない、ワードプロセッサも普及していない時代、仕事中に競輪選手の名前を電話で送稿するとき、「長嶋のシマはヤマドリのシマ」とか「和彦は昭和のワに彦左衛門のヒコ」とかやって漢字の判別をはかった(基本は音読と教わったけど、まぁいいかげんなものだった)。「一彦はヨコイチヒコ。ピンヒコね」と笑わすひともいた。そうそう、遠征でたまに関東に来る七竹茂(シチタケ・シゲル)なる選手がいて、某先輩はいつも得意げに「チーソー・シゲル」と読んでいたっけ。(筆者註・「チーソー」とは麻雀で使われる牌の一種で、「七つの竹串」模様で表された数字牌のこと。)
 閑話休題。競輪が進化変化してゆくスポーツなら、選手の談話も変遷していくのが道理であろう。
 「順番が来たから逃げた」「順番が来たら仕かける」と聞かされれば、おいおい出たとこ勝負かよ、とおもったりもするが、ある意味、限りなく四回転に近い大ギヤ、押さえ先行より主戦法はカマシの時代には、いたしかたない、正直なコメントであるのかもしれない。
 「楽しんで走りたい」「とにかく愉しみたい」は競輪選手にかぎらず、スポーツ界広範にわたる流行りのコメントである。が、先日のテレビで某アーチストは、「練習、準備、また練習。努力して、技術をあげ、本番をたのしめるようにする」それがプロフェッショナルだと発言していた。

 「楽しみたい」=「リラックス」と「楽しめる」=「万端の準備」はまるでちがう?

 追記。もう四半世紀は前だろう。「A選手のヨコ」なるB選手のコメントはキョーレツだった。むろんBがAに競りかけるということにちがいないのだが、ふつうなら、Aが目標とする先行選手にジカ、仮にその先行屋がCだとすれば「Cにジカ」とか「競りでもCの番手」となるのだろう。ところがB選手が発したひとことは「A選手のヨコ」。換言するなら、Aがどこを選ぼうとも関係ない。ただただおれ(B)はAと競る、いわゆる意趣返しというやつだ。AとBの関係がそこまでに至った経緯はもうはっきりしないけど、時代だなぁと懐かしく想う。