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山口県・防府競輪の楽しさ
今年の夏は心身ともに焼き尽くされるような酷暑が続いた。それが一段落すると北九州を襲った豪雨。さらに8月30日付の関西の一部の新聞には、兵庫県神戸市や西宮市内の河川では「千年に1度クラスの大雨」が想定されるという記事が載った。何とも恐ろしい自然界になってきたものだ。
そんな状況の中で、山口県防府競輪の産業振興部競輪局に勤務していた元幹部職員から頼もしい話が届いた。2014(平成26)年7月、武雄でデビューした105期生の清水裕友(ひろと=山口)が、今年の1月、立川記念を制覇した時、「現時点では僕が賞金王なのでは」と微笑んだという。
今年最初の記念開催が立川だったので、同所で優勝した清水がその時点で最高の賞金を獲得したのはよく分かる。彼は小学校4年生の時、競技用の自転車の乗り方を覚え、早い段階から「日本一の賞金王に」という夢を抱いていたらしい。そんな頼もしい夢物語りに触れる前に本州の一番西側に位置する山口県のスターや、昔の写真などを紹介してみたい。(以下も敬称略)。
1948(昭和23)年に日本で最初の競輪が小倉で開催されたが、当時、甲規格、乙規格、実用車部門の3種目の競技で争われ、実用車で河内正一(兵庫)が優勝したことは前にも触れた。それと同じ開催時に乙規格レースを制覇したのが登録番号96番の原田和男(山口)だった。
原田も清水と同様に幼児期から自転車に乗り、1934(昭和9)年、同県の防長新聞が主催した「子供レース」で優勝(左上の写真)。当時、9歳だと聞いた記憶があるが、さらに磨きをかけて創設初戦の小倉競輪で優勝した。ここに掲載した写真は遺品として頂きこれまでに何回か記事にしたが、いつも後世に残したいと思いながら紹介してきた。
2、3番目の写真は1957(昭和32)年の第8回高松宮杯で西村亀が優勝した瞬間と、今は亡き高松宮様から表彰され「山口県の西村」として有名になった時のものだ。この3枚の写真が古過ぎるのと、「亀」という名前の読み方が分からず、カメと言っていたのが正しかったのかどうか─。
再び原田に戻るが、彼の遺品に「私は家業の自転車屋を継ぐため早く引退しましたが、西村亀、田中久彦、石川最之、石村正利、松本澄雄、大和孝義、柳井譲二、宮本正典らの活躍を楽しみにしています」とある。
確かにそのとおりで、大勢のファンは彼らの「脚質」まで知っておられるだろうが、中でも石村と大和は「選手会の役員」としても活躍。今では「石村正利賞」(右上の写真)も創設されて人気レースになっている。
改めて当時(1955=昭和30)年の防府記念の一部を紹介しよう。左上は「開設6周年記念」と書いた同年のユニホームを着た選手。中央は客席を埋めた満員の観客。そして右端は車券発売所で働く女性従業員の姿だ。
中でも注目したいのは観客の中の大勢の女性。写っている人は不愉快かもしれないが60年も前の写真なので掲載しても許してもらえるだろう。さらに目立つのはロングスカートの女性従業員たち。最近は電話投票なども増え発売所内は閑散としているが、防府市の人口が約12万人前後と思っていた時代にこれだけの従業員が働いていたとは─。広島市をはじめ近隣の市町村からどっとファンが詰めかけて競輪を楽しんだ光景がよく分かる。
さて、ここから最初に紹介した105期生の清水裕友に移りたいが、それには防府市が2015(平成27)年4月に発行した「ほうふ」という広報紙(左下の写真)の表紙から始めなければならないだろう。
 広報紙は全国各地で発行されているが、「ほうふ」の表紙には同27年4月に地元で開催する「第31回共同通信社杯」の案内を掲載。2番目はそれ以前の「平成21年の開設60周年記念」の全面広告。3番目は平成26年ごろの清水の談話。そして4番目が宮本弘子ら元女子レーサーの昔話である。
こんな記事を広報紙に掲載する役所は少ないと思うが、清水は小学校時代から競技用の自転車でプロと練習。高校時代は1日に40キロを走破し、「将来はグランプリで優勝し賞金王になりたいです」という大きな希望を語っている。最近の清水の活躍を思うと誰でも彼を応援したくなるだろう。
最後は宮本のことを─。彼女は元女子レーサーで神徳弘子といい、結婚して宮本姓になり忠典(55期生)を出産。その後、成長した忠典も所帯を持って隼輔(しゅんすけ=113期生)の親となった。 その隼輔が去る7月23日に大垣記念を制覇。同期生の中で「初の記念競輪の覇者」になった。振り返れば父親の忠典も1994(平成6)年1月、広島記念で神山雄一郎、山田裕仁らを相手に11①で優勝したことがあったが、息子の隼輔がどこまで成長するか。今は亡き祖母の宮本弘子も天国から孫の成長を見つめていることだろう。
防府市にはもう一つ大きな話題がある。というのは、同市の産業振興部競輪局に「女性の局長」が誕生したことだ。競輪といえば男性が主役というのが常識だったが、全国初と思える女性局長がどんな活躍をしてくれるのか。競輪関係者はもとより、この話を知ったファンも大いに注目し、女性の競輪ファンが増える可能性もある。もちろん、私も記事にしたいと思っている。
筆者の略歴 井上和巳 昭和10年(1935)年7月生まれ 大阪市出身 同32(1957)年 デイリースポーツに速記者として入社 同40(1965)年から競輪を担当 以後、定年後も含めて45年間、競輪の記事を執筆 その間、旧中国自転車競技会30年史、旧近畿自転車競技会45年史、JKA発行の「月刊競輪」には井川知久などのペンネームで書き、平成14(2002)年、西宮・甲子園競輪の撤退時には住民監査請求をした。