デュッセルドルフ通信 2006年1月17日
北津留翼が世界ではばたいた!
美しいロッテルダムの町並み
美しいロッテルダムの町並み
  皆様、あけましておめでとうございます!
さあ、今回は昨年からの予告どおり、日本人競輪選手として初めて6日間レースのスプリント種目に出場した北津留翼選手のお話をお届けします。
さて、6日間レースとはヨーロッパ各地で行われるショーレースで6日間を1開催として実施されることは、以前のコラムでお伝えしたとおりです。これまでは、マディソン、スクラッチ、エリミネイションなど中長距離のレースで行われていましたが、ここ数年でケイリン、スプリントなどの短距離競走も採用する開催が増えてきました。まだ中長距離のみしかやっていない6日間レースもありますが、私の見る限り、短距離種目への観客の反応は上々です。
ロッテルダム「アホイ競技場」は大入り満員
ロッテルダム「アホイ競技場」は大入り満員
  とにかく観客が喜ぶことが大切なこのレース、エンターテイメント性は極限まで高められ、音楽は大音響、レーザー光線はビシバシです。このレースでは「レーザー光線でライダーの目が眩んだら?」とか「音楽でスプリント周回のベルが聞こえなかったら?」なんてことを言う人は無粋なのです。そして、やはりお客を喜ばせるためには「レース展開がエキサイティングでマディソンなどよりわかりやすいケイリンを採用しよう」「ケイリンといえば日本発祥、そうだ日本からライダーを招待しよう」となったのはある意味では想像に難くない話です。
日本自転車界に打診があったとき、出場にGOサインを出した関係者、そして出場選手に北津留選手を選んだ日本自転車競技連盟は「間違いのない判断をした」と私は断言できます。
 北津留選手が派遣選手として正解だった理由その1
「短走路、そしてそれ特有のきついカント、タイトなコーナーを乗りこなせる」
ロッテルダムのトラックは200mの超短走路。しかも直線はそれなりの長さが確保してあるため、コーナーはヘアピンカーブのようにきつく、それに応じて最大カント(バンクにつけてある斜度)は49.5度!見た目はほぼ「壁」です。このバンクを恐怖感なく走れるライダーは日本にはそうたくさんはいないはず。ワールドサイクリングセンター(WCC)でのトレーニング経験を持つ彼は、このバンクをはじめから違和感なく走っていました。
 理由その2
「若い。しかもジュニアでの実績十分」
ロッテルダムのレース、他のスプリンターはテオ・ボス、テアン・ムルダー、ティム・ヴェルド、レネ・ウォルフ、バリー・フォルデと蒼々たるメンバー。「若い」ということでこのメンバー達に対して、常に挑戦者の気持ちでレースに臨めていました。さらにジュニア時代にはケイリン、スプリントで世界チャンピオンになっており、場内の紹介アナウンスでも決して他のメンバーに見劣りすることなく、「若武者が日本から殴りこみをかけてきた」という雰囲気十分!
「楽しく走ろうぜツバサ!」リラックスさせるように話しかけるバリー・フォルデ
「楽しく走ろうぜツバサ!」リラックス
させるように話しかけるバリー・フォルデ
 理由その3
「外国人(オランダでは北津留選手が外国人なんだけど・・・)とのコミュニケーション能力がある」
WCC出身ということにも関係するのですが、コミュニケーションに積極的で英語、身振り手振りをつかってどんどん外国人選手の輪のなかに入っていき、自転車のセッティングやレースのことについて話したりして、2日目には、はじめて会ったライダーからも「ヘイ!ツバサ!」と声をかけられるようになっていました。
北津留選手を激励するスポンサーの皆さんと
北津留選手を激励する
スポンサーの皆さんと
 理由その4
「お調子者(北津留選手ゴメン!)」
悪い意味ではありません。ショーレースである6日間レースにおいて観客を煽ったりすることはとても重要なこと。パフォーマンスがなければ目立ちません。北津留選手はそのノリのよさで、観客の声援に応え、しっかりと自分をアピールできるライダーだということを印象づけました。
 理由その5
「強心臓&強脚」
6日間レースはスプリンターでもケイリンが1日2レース、スプリントはタイムトライアルに加えて本戦が2回の合計5回を、ほぼ1時間おきに走り、それが6日間続く過酷なレース。そんななか「いや~、いつ脚がつってもおかしくない状態ですね。ハハハ」と笑ってしまう性格。「オイ!オレの筋肉!大丈夫なのか??」状態で世界の超一流プレーヤー相手に一度もみっともないレースをすることなく最後まで走りきった脚力は大したもんです。
激走!みんないい顔してます
激走!みんないい顔してます
 さて、前置きが非常に長くなってしまいました。結果から申し上げましょう。北津留選手は6日間の総合ポイントでケイリン5位、スプリント6位でした。「なんだ“ビリ2”と“ビリ”じゃん」と言うなかれ。さっきも言いましたがメンバー見てください。これ、はっきりいって「世界選手権の決勝です」っていってもおかしくないメンバーなんですから。
北津留選手を除く5人のうち3人が昨年の世界選手権は何らかの種目のチャンピオン。バリーフォルデはケイリン2位。ティム・ヴェルドだって昨年のマンチェスターワールドカップの1kmTTで3位です。レインボージャージとそれに限りなく近い人たちに囲まれてひるむことなく、4日目にはケイリンで日ごとのランキングの1位を獲得までしたんですから!こと6日間レースに関して言えば、あまり着位を気にしなくてもいいのではないでしょうか。確かに勝ち負けも大切ですが、ここではどれだけ観客の脳裏に焼きつく競走をしたかのほうが大事です。ま、どの選手もそれほど着位に固執していないから4日目の総合1位もあったと言えるかも知れませんが、とにかく初参戦にして上出来だったと拍手を送らずにはいられません。
 実は今回、のっけから結構ハプニングがありました。オフィシャルホテルの予約がしてあったのですが、何を勘違いしたのか北津留選手と私が同じ部屋にブッキングされていました。しかもツインではなくダブル!!これを知ったときが6日間のなかで最も(レースの前なんかより)北津留選手の顔がこわばった瞬間でした。「そんなわけないやろ~チッチキチー」とホテルのフロントで交渉し、それぞれの部屋がもらえたのでよかったのですが。危ないところでした(どっちにとって???)。
さらに。到着した開催前日は「長時間のフライトで疲れているので翌日早くから練習しよう」ということになるも、翌日になるとバンクでラボバンクチームのプレゼンテーションがマスコミを集めて行われるので17時まで練習できないことを聞かされ「17時って競走の2時間前じゃん。聞いてないよ~」状態。17時になりやっと練習を始めたと思ったら、バンク上にあった異物を踏み、前のタイヤがパンク。実際にしっかりと練習ができたのは、ほぼ1時間くらいでした。
 しかし、WCCのときから北津留選手を知っていたテオ・ボスやファンキーでやさしいバリー・フォルデなどに「ツバサ!イージー、イージー!」と声をかけられ、落ち着きを取り戻したのか、初出走ケイリンでいきなり1着をとりました。客席には日本人のお客さんも来てくれていて「北津留がんばれー」と声援が聞こえました。このお客さんに応えるためにも頑張りをみせたのだと思います。
この1着の裏には、ほかのライダーの様子見、テオの思いやり(追走した北津留選手を見るやドーンと逃げてくれた)などもあったとは思いますが、それにしても鮮烈な6日間レースデビューでした。
チャンピオンとして表彰!「やっぱ、“勝つ”っていいっす!」
チャンピオンとして表彰!
「やっぱ、“勝つ”っていいっす!」
 そして4日目のチャンピオンに輝いたことは本人にとってもいい刺激になったはず。大声援を浴び「気持ちいいですねぇ」とご満悦でした。ウィニングランのとき花束をコーナー付近にいるカワイイ女性に投げようとしたのですが、カントがありすぎて滑りそうになり、その手前にいたオジサンがもらっていました。「オジサンでも、もらってくれれば、いいです」と本人は言っていましたが、ちょっと・・・いや、かなり残念そうでした。ウィニングランから戻ってくると、「チャンピオン!ツ~バサ~キ~タ~ツル~!!」とテオ・ボスが場内アナウンスの真似をしてひやかすひやかす。
「一緒に写真撮って!」という要望が殺到!
4日目チャンピオンになった途端、
「サインちょうだい」や「一緒に写真撮って!」という要望が殺到!
 この後、北津留選手の人気は急上昇し、子供がサインをねだりに来るわ、レースのスポンサーが「会いたい」といって来るわ、テレビや新聞の取材が来るわで大変。強いライダーに対するリスペクトはここでは外国人にもしっかりと向けられるようです。テレビの取材が来てはじめてわかったことですが、場内のアナウンスなどでは「日本から来たお尻のキュートなケイリンライダー」と呼ばれていたらしく、知らず知らずのうちに面白い枕言葉がついていました。今回の6日間レース参戦で北津留選手はオランダで一番名前の売れている競輪選手になったことは間違いありません。
トレックをはじめとするスポンサーのレーサーパンツ「必勝」
トレックをはじめとするスポンサーの
レーサーパンツ「必勝」
北津留選手が今回得たものは世界のトップライダーたちと繰り返しレースをする経験だけではなかったと思います。一緒に走ったスプリンターたちはもちろん、エンデュランス系の選手たち、メカやマッサーなどのレースを支える人たちと築いたフレンドシップは何ものにも換えがたいものがあります。「ツバサ、ボルドーの世界選出るんだろ?その時、オレは一緒にはいられないけど観客席から応援してるぞ」などと言われたとき、そばにいた私までジーンとしてしまうのでした。
アマチュアとして、ジュニアとして輝かしい実績を持った「ツバサ」は、競輪選手としてデビューし、今度はプロとして、エリートとして着実に世界に羽ばたきはじめました。日本人だけでなく、いろんな人の期待をその「キュートなお尻」にのせて。
 「おまけ」6日間レース語録

ここでは、6日間レースの間に外国人選手や、北津留選手と私の間でよく使われた言葉をいくつか紹介します。

“6dayモード”
6日間レースは夜遅くまで続くので、夜型の生活習慣になり、朝なかなか起きられないこと。

“B世界選”
6日間レースは暗い中行われるので、お客さん、スタッフなど女性はみな超美人に見えるが、実はそうでもない人のこと。

“インドよりはマシ”
北津留選手は直前にインドで開催されたアジア選手権に参加したが、そこではレースの間のイベントで馬がインサイドに入り、終わったあとピットが馬の糞だらけになるなど、信じられないことの連続だったらしく、かなりトラウマになっていた。この言葉は、予想できないことに直面し、ひるみそうになったときに使う。

“T3”
テオ、テアン、ティムのオランダ3人衆のこと。TSUBASAも入れてT4にしてくれ!

“ツバサはトレーニングしたか?”
連日の疲れもあり、「トレーニングより休養しなくてはいけない」と思っている北津留選手にテオ・ボスが挨拶のようにしつこく聞く言葉。午前中のウェイトトレーニングに誘ったり、テオは北津留選手にとにかく練習させたがっていた。何故?・・・そういえば最後に「ツバサ、国際競輪で日本に行くことになったらライン組もう!」と言っていた。メチャメチャ、先を読んでる。恐るべし。

●4コマ漫画 テオ先輩とツバサくん

「先輩、僕だってそう簡単にはやられませんよ!
甘くみないでね」「ムッ!やる気だな?」
「オリャー!!」「ウォォォ~ッ!!
まだまだぁぁーっ!!」
   
「ちょいサシッ」
「なかなか強くなってきたね。もっと頑張ろう!」
「ハイ、すいましぇん。練習してきます」
   
200mタイムトライアル「今回はどんなパフォーマンスで?」
200mタイムトライアル
「今回はどんなパフォーマンスで?」
 “パフォーマンス”
選手はタイムトライアルのフライング走行の時やウィニングランの時に観客を煽るオリジナルのパフォーマンスを持っている。ギターを弾くマネをしたり、ウェーブを求めるように両手を下から上にゆっくり振り上げたり。北津留選手のパフォーマンスは模索中で未完成。ツバサだけにアラレちゃんの「キーン」のポーズを提案したが採用されず。

 “PSP”
選手たちはゲームが好きで、誰かが「日本からPSP買ってきてくれ」と頼むと、「オレもオレも」となり、北津留選手が「PSP欲しい人!」と言うと他のスプリンター全員がサッと手を挙げた。ソニーさん、PSP5台、受注承りました!!!
この直後「シッカク!」といわれた走行が・・・(実際、失格とはならなかったが)
この直後「シッカク!」と
いわれた走行が・・・
(実際、失格とはならなかったが)
 “ユー、センコー(先行)”
国際競輪に参加したことのあるライダーも多いので、日本の競輪用語が普通に使われる。レースも終盤になってくるとライダーたちも腹の探りあい。「ツバサ、ユー、センコー?」「ノーノー、レネ、センコー」「ノーノーノー!ユー、センコー!」と譲り合いになる。他にも並走のとき、レネ・ウォルフを思いっきり外に持ち上げてしまったテアン・ムルダーに、笑いながら「テアン、シッカク!」と言う一幕も。

 最後に
「日本が生んだ世界のスポーツ競輪」と、いうのは使い古されたようなフレーズになりましたが、日本国外でこれほどまでにケイリンが文化として根付いてきて、さらに選手の交流が深まってきていることを目の当たりにし、なんともうれしく、「もっともっとこういう交流が深まればよいな」と思わずにはいられなかった取材でした。6日間レースなどへの日本人選手の参加が増えること、もっと言えば日本で6日間レースのようなレースを行うことも、全くの夢物語ではないのではないかと思ったりもします。6日間レースはスポーツエンタテイメントとして非常にレベルの高いものだと感じました。これを読んでくださっている皆さんに少しでもそれが伝わったらうれしいなと思います。今年も自転車競技の本場ヨーロッパから熱い情報をお届けするため頑張りますのでよろしくお願いします!それでは、今回はこの辺で。

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