「日本のライバル!強豪フランスチーム直前レポート」

配信日:2004年8月2日
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 長年世界選手権で日本記者団の通訳を務めて頂いている円山和子さん(フランス在住)から、アテネ・オリンピックで我が日本チームのライバルになる強豪フランスチームの様子が送られてきました。フランスチームも調子を上げているようで、アテネ・オリンピックでの自転車競技から益々目が離せません!





モレロンコーチがガネ、ブルガン達を育ててきたヴェロドロームのあるイエール市は、海軍の重要基地のある地中海沿いの都市トウーロンから車で30分東へ走った所にある。人口は5万人あまり、ブリジット・パルドー主演の映画で有名になったサントロペ、また毎年国際映画祭の開かれるあのカンヌからも近い。この、パルミエの木の目立つ美しい地中海のイエールの歴史は中世の時代までさかのぼり、特に、18、19世紀に洗練された別荘地として栄えた。トルストイ等の文豪も滞在、またイギリス、スペインのロイヤルファミリーにも愛された。


<写真:ガネ選手・モレロンコーチ>
  アテネでのオリンピック大会を目の前にした7月26、27日の午前、このイエールのヴェロドロームにモレロン氏を訪ねた。気温は37度ぐらい、乾いた暑さ。時々地中海独特のミリストラールの風が吹く。1989年に建てられたこのヴェロドロームは松の木に囲まれたやや小高い、静かな住宅地に接してあった。いかにも海辺に近い土地らしく外は砂地だ。やたらと蝉の声が周りに響く。

月曜日、暑い盛りの午後2時半、ヤマハの練習用のバイクに乗ったモレロン氏は笑顔で迎えてくれた。普段は10人の選手を抱えているが、オリンピック出場選手、ガネ、ブルガン二人を除いて他は夏休みに入っていた。近くの子供が10人余り、ヴェロドロームの観覧席に立って眺めている。聞こえてくるのは蝉の声だけ、あとはしーんとした、いかにものんびりとした南フランスの田舎の風景、ここからオリンピックチャンピオンが出てゆくとは想像しにくい。モレロンコーチは時々、雨、風で痛んで跳ね
 

<写真:ガネ選手>
上がった木の板を上から踏みつけていた。この雨の日の練習は中止というヴェロドロームも、この一年で屋内用に立て直される。15kmも離れている筋力トレーニングルームも隣に建設され始めていた。


<写真:ブルガン選手>
 

トレーニングの内容は、月曜、火曜、木曜、金曜は午前中(9:00~12:00)がロードで、午後(15:00~17:00)がトラック、水曜は一日中ロードのみ、とのことである。モレロン氏は15年前にイエールへコーチとして移り住んで来た。ガネは1995年から、ブルガンは1999年からイエールでモレロン氏の指導を受けている。アテネへは8月14日にとび、8月21日から競技が始まる、との話だった。オリンピック出場者はガネ(スプリント、競輪、チームスプリント)
、ブルガン(スプリント、競輪、チームスプリント)、

トウルナン(チームスプリント、1kmTT)、プレヴィス(1kmTT)の4人だと話していた。ルソーは今回オリンピック参加を許されていない。その点に触れると、「勝負の世界だからしょうがないネ」との一言が返ってきた。トウルナンの調子について尋ねると、彼の波のある性格に少し触れた後、「4年前のシドニーの時はトウルナンの実力は誰よりも抜きんでいながら5位だった。でも今回は同じぐらいの実力者が何人もいる。彼はとにかく頑張るしかないだろう。調子はとても良いと聞いている」とのことだった。

3時になって、ガネが姿を現す。2~3年前までは優しくて、はにかみ屋という感じだったのたが、今では堂々としたフランスを代表する貫禄に満ちた様子。と同時に人柄の良さが滲みでていて、バランスのとれた素晴らしい選手だといつも感心する。偉ぶったところは全く無く、思いっきりスプリントで走った後、ゼーゼーと息をしながらタイムウォッチを片手にブルガンのスプリントのタイムを見てやる。何から何まで全部3人だけでやらなくては、首の周りに色々な道具を掛けた姿のモレロン氏が
 

<写真:左から モレロンコーチ・ガネ選手・ブルガン選手>
後で笑って話すのだった。ガネに調子はと聞くと、「ゆっくりゆっくり最良の調子に向っている」と答える。「自転車はいつもと同じ、ただハンドルだけより軽いものに変えた」とのモレロン氏の話。「5月末のメルボルン世界選、7月初めのフランス大会、そして8月のアテネでのオリンピックと続くが、疲れからの回復は早く、体調に問題はない。ガネはまさにプロ」とモレロンは答える。「練習も量より質方式で、自分の状態を良く把握してトレーニングしている」とのこと。ガネは日本が大好き。「和食、日本の按摩、温泉、日本の文化、生活習慣、すべてが好き」と彼は話す。彼は「来年もまた日本へ行けたら」と話す。その後はフランスの大会へも参加しながら、故郷ニューカレドニアでコーチを務めたい、そうだ。


<写真:左から モレロンコーチ・ガネ選手・ブルガン選手>

モレロンに日本の選手について意見を聞いてみた。山田、金子、伏見などの名を挙げて「強い選手はいる」と答える。戦略としては、「がむしゃらに先行するだけでは疲れるだけ。一番手強い選手の近くを走りながら、絶えず様子をうかがいつつスキを狙っては」と話す。「日本選手はもっと良い成績が取れるはずだ」と。それで「将来の選手達も競輪学校を出た後、まず2年間は世界選等で勝つよう努力した後、プロの競輪選手として活躍してはどうだろう」と話す。ケイリンについて、「テ

クニックもおもしろく、観客を楽しませる競技、自分も好きだ」と話す。「コミッショナーがしっかりルールを把握しておけば、もっと楽しめるだろう」と。ケイリンでもよく頑張ってきたフィードラーについて、
「彼はこれ以上は伸びず平行線を辿ってゆくだろうが、まだまだ油断のできない手強い選手だ」と話す。メルボルンでスプリントのチャンピオンになったオランダのボスについては、「まだ彼は周りを圧倒するまでにはなっていない」と答える。ボスは3ヶ月間ガネと日本で一緒だった。同じく真面目で自然体の好青年だ。また、ふと昔のことに触れて「中野浩一さんとは1977年にベネズエラで雨の中を走った。難しい競技だった。彼が1位、自分は2位だった。彼を初めて見た時、この男はチャンピオンにな  

<写真:左から モレロンコーチ・ブルガン選手>
れる、と思った。そしたらその通りになったよ」となつかしそうに話す。



そんな話をしていると、彼の携帯電話が鳴る。相手は旅行会社。アテネ行きの件でチケットの手配まですべて彼がやるのだそうだ。ちなみに飛行機はビジネスクラスですかと尋ねると、「とんでもない!選手も自分も他のスタッフも全員エコノミークラスで行く」との答えが返ってきた。ただメルボルンで、ゴールドやシルバーを取った選手のみは帰りはファーストクラスやビジネスだったそうだ。ただ昔はそうじゃなかった」とのこと。彼が1972年のミュ

ンヘンのオリンピックでゴールドメダルを取った時は行きも帰りも2等の寝台車だった。ただ、そのすぐ後、当時のフランス大統領がフランス大使館で
金メダル選手と会見したいとの事で、大慌てで外務省専用の飛行機に乗せられて往復したそうだ。モレロン氏は「そろそろこの辺で別のことをしたい」と話す。この、イエールのヴェロドロームの所長になる話もあるが自分はコーチの仕事が好き。日本選手のコーチの仕事はやりがいがあると思うけど・・・と。  
<写真:左から ガネ選手・円山・ブルガン選手・モレロンコーチ>


2004年8月2日
フランス、ジヴェルニーにて
円山和子