ガールズケイリン・コラム①

 

 『共に「イバラの道」を歩もう。歴史の創造者たれ!=日本競輪学校・滝沢正光校長』
 松瀬学(ノンフィクションライター)
 
 
 
 
 

 決意の門出である。
 新緑のにおいが五月のさわやかな風に絡まる。青春の地、伊豆の修善寺。いつも実直な男がふうっと息を吐いた。
「責任を感じます。とくに女子は未知の世界へのチャレンジですから。生徒たちには、賭けの対象者としての自覚を持つのはもちろん、人間的にも成長してほしいのです」
 滝沢正光。51歳。栄光と称賛に包まれた通算787勝の鉄人、いや哲人であり、プロの競輪選手を養成する日本競輪学校の校長である。入学式直前、白いワイシャツ、白ネクタイ姿のタッキーさんは少し緊張気味だった。
「だって、競輪学校に入ったからといってプロになれるわけじゃない。これからですよ。競輪という山の入口までともに連れていくのですから。ま、引っ張るのか、引っ張られるのかわかりませんが」
 新入生の男子が101期生となる36人、女子は復活競輪の第1期生となる35人。女子の入学者の年齢が18歳から49歳と幅広く、経歴もスピードスケートやホッケーの五輪代表ほか自転車競技経験者、元モデル、元小学校教師、主婦など多士済々である。
 滝沢は入学式の講和で、相田みつをの『道』という詩の一部を引用した。<どんなに避けようとしても、どうしても通らなければならない道というものがあるのだ>と。
「ここの道は山あり谷ありですよ。思い通りにならない一年だと思います。自由がきかない。時間や訓練や生活で戦っていかないといけない。逃げちゃダメなんです」
 いわば修行である。禁酒禁煙は当然として、携帯電話も禁止。じつは事実上の恋愛禁止。とにもかくにも競輪に没頭しろ、というのだ。

 
 
 
 
  自身の競輪学校時代を聞けば、滝沢は口元をゆがめて目を閉じる。まだハタチ前、32年前の苦い記憶がよみがえる。
 中学、高校でバレーボールに打ち込んでいた正光少年が競輪学校に「適性制度」で入学した。「自転車に乗れなくても競輪選手になれる」のキャッチフレーズに心が動いたのだ。自転車はズブの素人にとって、過酷な練習は苦労と屈辱の連続だった。
「ほとんど落ちこぼれでした。自分の力を自転車に伝えるコツがつかめなかった。基本練習の周回練習では「次回!」という掛け声がかかるウォームアップ段階で既に遅れていたのですから。もう悔しくて、情けなくて」
 でも弱音は吐かなかった。ひそかに練習日誌の裏表紙のところに黒字で『特別競輪制覇』と書いていた。今でいうG1、すなわち「日本一になる」との意味である。願って、念じて、一生懸命練習すれば、いずれ夢は叶う。そう信じて生きてきた。
 モットーが。
「一歩踏み込め、そこは極楽」
 
 
 
 
  だから、『努力の人』は漏らすのだ。
「練習すれば強くなるということをシンプルに伝えていきたい」
 生徒には男女とも夏までは距離を乗り込んでもらう。女子にはまず、体力をつけてもらう。学科も技量もアップしてもらい、全体の力量差を縮めていく。もちろん団体行動における規律や生活指導も徹底していく。ナイショながら、女子への接し方は教官たちで準備を重ねており、細かく神経をつかっていく。
「競輪ファンが安心してお金をかけられる人間にならないといけないと思うのです」
 入学式の日、メディアが百人ほど、修善寺に押し掛けてきた。ロンドン五輪の女子ケイリン採用もあって、いかに来夏スタートのガールズケイリンへの関心が大きいかがわかる。
「これは追い風です。競輪界にとって、台風級の追い風です。これを競輪の第二期黄金時代の幕開けとしたいのです」
 ぶ厚い胸板。滝沢は太い右腕を何度も振り下ろす。机の上のお茶碗が揺れる。ここぞという時の迫力は現役時代と変わらない。
 生徒とともにイバラの道を走る。夢に向かって走る。前へ前へ前へ。薫風に声がのる。 いざ歴史の創造者たれ!
 
 
 
 
 

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