『立川競輪開設64周年記念(GIII)レポート』 最終日編

配信日:1月7日
 立川競輪場開設64周年記念「鳳凰賞典レース(G3)」は1月7日、4日間に渡る熱戦が閉幕。激戦を勝ち抜いた9名による決勝戦が最終11レースで争われた。注目の決勝戦は9番手から仕掛けた脇本雄太を目掛けてまくった原田研太朗が、スピードに乗って前団を捕らえ、嬉しい記念初優勝を遂げた。
決勝戦 レース経過
 号砲で新田祐大、園田匠の順に出ていく。新田―海老根恵太、原田研太朗―園田、脇本雄太で、河村雅章―平原康多―岡田征陽―後閑信一の地元埼京勢が後攻めとなって周回を重ねる。
 青板バックを過ぎ、新田が徐々に誘導との車間を斬って警戒していく中、河村は4角から動く。合わせて踏み出す新田を押さえ込み、河村が赤板から先制。河村―平原に遅れた岡田も2角で追い付き、打鐘では埼京勢が出切って、5番手に新田、7番手に原田で、脇本が最後方の隊形となる。河村はそのまま飛ばしていってホームは完全な一本棒。2角で平原が車間を切り、波を作って後続をけん制。これで隊列が乱れるが、脇本は構わずバック手前から一気にまくる。平原はすかさず番手まくりで応戦し、新田も合わせてまくりに出る。新田は全く車が出なかったが、脇本はグングンと前へ迫り、これを3角から原田が追う。一方、必死で駆ける平原に、岡田が遅れ始める。後続の援護もなくなり一杯となった平原を直線半ばで脇本が捕らえ、さらにゴール前では原田が逆転。


原田研太朗選手
原田研太朗選手
 暮れのグランプリの興奮冷めやらぬなか始まった2016年の記念開幕戦。激戦を制したのは四国の若武者・原田研太朗(写真)だ。
 「まさか優勝できるとは。追加ですしね。去年も優勝で始まって、今年も優勝で始まって。嬉しいですね」
 2015年は3月日本選手権で特別初優参を果たすと、4月共同通信社杯、8月サマーナイトとビッグの決勝を立て続けに経験。四国期待の若手の一人から全国トップクラスの仲間入りを果たした。そして2016年を迎え、最初のレースで記念初優勝を果たした。
 「関東勢が行く気満々だったし、後方で脚を溜められました。脇本さんの仕掛けに乗っていけました。最後は抜けるかどうか分からなかったけど、優勝できて本当に嬉しいです。3日間先行してたんで気分的には楽でしたね」
 今年の目標として前検日に記念の優勝を掲げていたが、すぐさま結果として残した。
 「今年の目標を聞かれて記念を獲りたいって言ったんですけど。まさか獲れるとは。去年もG1の決勝に乗りたいって言って、ダービーですぐ乗れましたからね」
 年末のグランプリはここ立川で行われる。急成長を遂げている原田がここに帰ってくるかもしれない。そのために目標修正し更なる高みを目指す。
 「今年もG1の決勝に乗れるように、そしてG1の表彰台に上れるようにしたいです」

 9番手からまくった脇本雄太は優勝を目前に捕らえていたが、あと一歩のところで原田にさらわれてしまった。
 「あー、チクショー。でもどうしようもないですね。緩んでたし、あそこしかないと思ったし。波打ってたけど(園田)匠さんは乗り越えられると思ったけど…。結果、ハラケン(原田)を引き出す形になってしまった。しょうがないです」

 人気を背負い番手まくりを敢行した平原康多だが、原田、脇本に交わされ3着に終わった。
 「展開もあるからしょうがないです。自分は自分の仕事をしたと思う。結果的にもう少し引き付けられればよかったんだけど。でもこれが結果なんで。ラインの中から優勝者が出せればよかったんだけど。そこは悔しいですね。(4日間)同じようなレースはなかったけど、体調的には普通にいけました」

 中団を確保した新田祐大だが、仕掛けが不発に終わり5着に。
 「ダメでしたね。平原さんが仕掛けたところでいこうと思ったんですけど、風で止まって出なかったですね。後ろを引き付けるような形にもなってしまいました。一番最後まで我慢した人が勝ちましたね。状態は悪くなかったんですけど、自分の求める感覚とはまだ違いました。そこらへんを修正していきます」

 S班として初めての記念となった園田匠は悔しそうにレースを振り返った。
 「ホームで緩んでたし、新田の動きを見てそこで詰まる形になってしまいました。でもワッキー(脇本)、原田に付いていけばよかったんですけど、付いていけてないですからね。情けないし、もったいない。でも原田が強かった、よかったです」

 記念初決勝となった河村雅章は「ラインから優勝者を出せなくて申し訳なかったですね。とにかく緊張はしましたけど、このメンバーの中で先行できたし、思いっ切りいけました。その点はよかったです」。



ゴール
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