『川崎競輪開設67周年記念(GIII)レポート』 最終日編

配信日:4月12日
 川崎競輪開設67周年記念「桜花賞・海老澤清杯(G3)」は、4月12日に最終日を迎えた。激戦を勝ち抜いた9名による決勝戦は、脇本雄太の番手から稲川翔が差し切って優勝。復帰3場所目で初の記念Vを果たした。
決勝戦 レース経過
 ゆっくりとしたスタートから浅井康太が誘導員を追って正攻法に構える。大塚健一郎が続いて、この両者で前受け。以下は新田祐大-郡司浩平-松浦悠士-古屋琢晶-脇本雄太-稲川翔-藤木裕の並びで周回を重ねる。
 脇本の上昇を制して中団から郡司が先に動く。浅井が車を下げて誘導後位に入った郡司は、脇本を受けて4番手に収まる。同じく4番手を狙った新田は郡司のけん制を受けるが、郡司後位の松浦が口が空いてるのを確認すると5番手で立て直す。ホームから徐々に踏み上げる脇本に対し、7番手から浅井が一番に巻き返しを見せるが思うように車は出ず1車前の松浦の外で一杯に。車間を切ってバック手前から仕掛けた郡司も脇本の強烈な踏み直しの前に伸びを欠く。これで番手絶好になった稲川は粘る脇本をゴール寸前でとらえて待望の記念初優勝。新田の強襲をしのいだ藤木も3着に入り、近畿ラインで上位を独占した。



稲川翔選手
稲川翔選手
 昨年は初のS班に名前を連ねるも、相次ぐ落車で思った走りができなかった稲川翔(写真)。「正直、苦しかった」と語るが、逆境を乗り越え初の記念Vをつかんだ。
 「ワッキー(脇本雄太)を抜いた感触はなかったですね。でも、ゴール後に藤木(裕)に『獲ったか』と言われてジーンときました。(記念優勝は)ひとつの目標にしていましたし、腐らずにきたことが良かったですね。でも、怪我もあって、まさかこんなに早く獲れるとは思わなかったです」
 昨年、12月の伊東記念で左肘を骨折。心が折れそうになる中、近畿の仲間たちが支えてくれた。
 「一番苦しかったのは、今年の全日本(選抜競輪)を病院で見ている時ですね。自分は本当に走れるのか。今の現状と違いすぎて。でも、(村上)博幸さんとか、南(修二)さんとか村上(義弘)さんとかが親身になって気にかけてくれたし、村上さんが(3月ダービー)で優勝してくれて、感化されました。ワッキーも頑張ってくれたし、ちょっとずつ何かの形で恩を返していきたいです」
 次はいよいよ静岡ダービー。自信を取り戻した稲川が、再度大舞台で輝きを放つ。
 「レースの中で恐怖心はないですし、走る以上は自分のやることをやろうと思っています。大きいところで、また優勝争いができるように頑張ります」

 準決と同様に力強い先行を見せた脇本雄太だったが、惜しくも準V。
 「風はそんなになかったんですけどね。ただ、稲川さんが仕上がっていました」

 近畿3番手を固めた藤木裕が3着。しっかり内を締めて、稲川の優勝に貢献した。
 「自分も優勝は狙っていました。次に自分が番手を回った時は獲れるように」

 新田祐大は5番手からまくるも、伸びを欠いた。
 「本当は郡司の位置が欲しかったです。郡司が(2センターで)止まっていて、あの外はダメだとわかっていたけど、いくしかなくて。あれが精一杯です」

 4番手からまくった郡司浩平だったが、地元Vは叶わず。
 「位置を取ったけど、それで終了です。改めて力勝負をして、敵わない相手でした。こういう(脇本のすんなり駆けの)ときの戦い方を覚えていかないといけないし、それ以上の力を付けないといけないですね」

 GP覇者の浅井康太は後方に置かれ、まさかの8着敗戦。
 「新田君がいくと思って。ワンテンポ遅れてしまいました」



ゴール
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