『松山競輪開設66周年記念(GIII)レポート』 最終日編

配信日:3月29日
 3月26日からはじまった松山競輪開設66周年記念「金亀杯争覇戦(G3)」は29日に最終日を終え、4日間にわたる熱戦に幕を下ろした。SS班の4人が顔をそろえた注目の決勝は、初手から近畿勢後位を選択した浅井康太が村上義弘とのゴール前勝負を制し、2月の奈良に続きG3連覇を果たした。
決勝戦 レース経過
 号砲で各車見合った状態から近畿両者がゆっくり出て、正攻法に構える。隊列は脇本雄太-村上義弘が前受け、これに単騎の浅井康太が続き、中団は山崎芳仁-小野大介、平原康多-中村淳、後方に松谷秀幸-片寄雄己の並びで落ち着き、周回を重ねる。
 青板周回のバックから松谷が上昇。前受けの脇本は7番手まですんなり車を下げる。誘導員の後位に入った松谷は後方の動きを何度も確認するが、脇本が赤板過ぎの2コーナーからスパート。打鐘で松谷を叩いて主導権を握る。叩かれた松谷は1車ずつ車を下げると、今度は平原が打鐘過ぎの4コーナーから巻き返す。脇本との踏み合いを制した平原が最終バックで先頭に立つ。マークの中村は離れて、村上が平原の後位にスイッチ。初手から終始、近畿コンビを追走していた浅井がこれに続く。山崎のまくりは苦しくなり、直線は村上、浅井のマッチレース。浅井が鋭いキメ脚で村上を捕らえて完全Vを飾った。平原は直線で末を欠き、浅井を追っていた松谷がしぶとく3着に入った。


浅井康太選手
浅井康太選手
 昨年のグランプリ王者・浅井康太(写真)と名古屋日本選手権を制した村上義弘。両者のゴール前のマッチレースはわずかな差で浅井に軍配が上がった。
 「(近畿勢の後ろは)それが基本だと思ったんで。その中で平原さんの巻き返しが早くてヤバいと思ったけど、村上さんが何とかするだろうと思った。そこはすんなりいけました。単騎で上手く走れたのが結果につながった。単騎が強いんじゃなくて自力が強いんで。単騎だと逃げがないってだけですね」
 コンディション的には最悪の状態だったが、それを決して言い訳にはできないと考えていた。
 「初日の選手紹介のあとギックリ腰になって。その中で無理矢理走ってました。結果を出したから言えることなんですけど。調子が上がってくると動きすぎてやってしまう。ギリギリのところでやってますから。最大限の筋力を使っているので。怪我でも走る限りは結果として出さないと」
 その中できっちりと結果を残したのはグランプリレーサーとしてのプライドと責任もあるのだろう。今後も王者としてまい進する。
 「結果を残せてホッとしています。まぁ、これからも一戦一戦自分のレースをして勝つ確率が高められれば。G1でも勝つ確率を高めることが今自分にできること。先行を含めた自分のスタイルでこれからもやっていきたい」

 名古屋日本選手権を制したあと、初のレースとなった村上義弘は2着にも納得の表情を浮かべる。
 「やっぱり2車やし、内も気にしなアカンかって、その中でも脇本が思い切って行ってくれた。強かった。脇本も掛かってたけど、そこを平原がいって。振り返ってヨコに動くとかっていうスピードじゃなかった。内空けたら浅井にしゃくられるし。ギリギリまで待って外踏んだけど平原もそうだけど、浅井もちょっと違いましたね。今開催は川村(晃司)と同様に自分も感覚的には厳しかった。その中でそれなりに流れに乗れていけましたね」

 怪我から復調途上の松谷秀幸は3着に。反省を口にしていたが、笑みも見られた。
 「最低でもワッキーの3番手が欲しかったですね。浅井は脚使わない3番手でいたし、脚使ってでも3番手を取りにいくべきだった。そこでしたね。体的には徐々に良くなってはいます。徐々に戻していって、これをきっかけにして頑張っていきたいです」

 平原康多も敗れて強しのレースだった。逃げる脇本に4コーナ-から猛然と襲い掛かり、叩き切ったレース内容は圧巻だった。
 「今日が一番仕上がった。自転車とマッチングしましたね。僕も意地で行くしかなかったし、ここっていうのがあそこ。悔しいけど、出し切って気持ちのいい負けですね。自分のレースはできたつもりです」

 平原が叩いた外を仕掛けた山崎芳仁もあわやの展開を作ったが、村上の横で失速した。
 「けっこう踏み合いになったし、僕もいいスピードだったけど平原のカマしてる上を踏んだから。待ったほうがよかったかな?平原もかかってましたね」


ゴール
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