『開設57周年武雄記念(GIII)レポート』 最終日編
 
配信日:4月15日


 4月12日から始まった武雄競輪開設57周年記念「大楠賞争奪戦」は15日の決勝戦をもって全日程を終了した。地元の荒井崇博、V筆頭格の武田豊樹らが準決勝で脱落し、混戦となった決勝戦を制したのは斎藤登志信だった。

決勝戦ダイジェスト

 スタートでポンと飛び出したのは鈴木誠。この前に三ツ石康洋-望月永悟が入り、即席ラインを形成した。中団に菊地圭尚-高谷雅彦-斎藤登志信の北勢、井上昌己-大塚健一郎-阪本正和の九州勢が後攻めで周回が進んでいく。
  赤板前の三角から井上が上昇を開始し、赤板で三ツ石を押さえる。三ツ石は抵抗する事なく、車を下げると井上が誘導員を使いながら後続の出方を窺う。打鐘前には巻き返すタイミングを計っていた菊地が一気に踏み込み井上を叩いて主導権を奪う。中団の外併走になってしまった三ツ石が菊地を叩きに仕掛けると、菊地もこれを突っ張り全開で逃げる。高谷が一瞬離れかけると、三ツ石が巧く締め込みながら番手に割り込んだ。番手で落ち着く事無くすかさずまくり上げた三ツ石だったが、菊地とモガキ合うも出切れず。2センターで鈴木が中をこじ開けて直線に入るが、車を外に持ち出した斎藤が大外を一気に駆け抜けて優勝をさらった。2着には斎藤を追うような形になった井上、3着はゴール前で中を割った大塚が入った。



齋藤登志信選手
齋藤登志信選手

 前の高谷雅彦が離れてしまったが、斎藤登志信は冷静な判断で切り抜けた。斎藤は無理をせずに中団単独の状態を確保。井上昌己が迫ると、バックから先まくりを決めて優勝を手にした。
  「今回、高谷さんは調子が良かったし、圭尚が行ってくれれば自分も上位に入れると思っていたけど、今日は展開が違った。高谷さんにハウスして、実は自分も離れてしまったんです。それでもう(鈴木)誠さんが来ていたし、内に入るよりは引いてまくった方が良いと思った。あとは(井上)昌己に来られないように外をガバッと振ってからいきました。ピッタリと誠さんに付いていたら昌己に行かれてましたね」とレースを振り返る。
  記念優勝は平成12年の観音寺以来7年ぶり。
  「ここ2年くらい不調だったからもう一度と、今は新人の菅田壱道と一緒に練習をしている。宮城から強い選手を出したいし、今の北日本の流れに彼を乗せたい。教える以上は自分も結果を出さなければいけないから、今回優勝できてよかった。ここに来る前、実は宮城に登録変更したんです。変更に1カ月かかるんで今回は山形だけど、次からは宮城登録で走ると思います」

 前団がもつれ、絶好の展開からまくりを放った井上昌己だったが、惜しくも届かず2着止まり。
 「絶好の展開だったんだけど、前を見てしまった。自分の悪い癖が出てしまいました。1センターから仕掛けていればラインで決まったのに。最後は斎藤さんの内か外のどっちを行こうか迷った。内を行けば大塚(健一郎)さんのコースがなくなるし外しかなかった」

 3着となった大塚健一郎は、「前を任せた以上は仕方ない。最後は昌己の外はムリだったから内のコースを選ばせてもらった。自分以上に斎藤さんのコース取りが巧かったですね。玉野記念でもそうだったし、斎藤さんの得意なコースでした。今回は荒井(崇博)も決勝に乗って九州から優勝者を出したかったですね」

 菊地の番手にはまり、優勝がチラついた三ツ石康洋だったが結果は9着に。
  「ホームで菊地君が緩めたんですよ。俺を行かせる気だと思ったから自分も安心して緩めてしまった。番手に入れたけど、ペースが上がり切っていない状態で自分も出たから厳しかった。2コーナーで脚が一杯だったけど、何とか根性だけで菊地君だけは抜こうと踏んだけど…。これが現状ですね」

 離れてしまった高谷雅彦はガックリと肩を落し、「追い上げたけど、初めから付いて行かないとダメ。優勝を狙える絶好のチャンスだったのに、仕方ない」。



ゴール




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情報提供:日刊プロスポーツ新聞社
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