感無量です。優勝しても言葉が見つかりません。優勝したときの言葉を考えてなかったんで。
作戦は何も考えてなくて、今年1年何十回と連係した小嶋先輩に何もかも100%任せてました。あの苦しい展開で、よくへばりついてくれた。内が開いたときも、考えるより前に身体が動いた。本当に直感。最後神山さんの内に入ってどかしたときは本当に神山さんが重かったが、渾身の力でどかして最後は武田さんに当たるぐらいのヨレヨレの状態だった。
ゴールした時は後閑さんの方がスピードに乗っていたので、抜かれたと思った。お客さんに「惜しかったな」と言われ、後閑さんがものすごいガッツポーズしてたんで(笑)、その時は悲壮感で一杯で1周したが、バックストレッチのお客さんに「お前が勝った」と言われ、小嶋さんにもそう言われたので確信に変わった。正直言ってあの苦しい展開の中、よく届いたな、なんで1着なんだろうと思っている。
表彰式の時に岐阜のPRをちょっとでもしようと思って、去年の小野さんのパクリと言われそうですけど(笑)ハッピを用意して、先輩に検車場まで持ってきてもらっていた。来年は地元で共同通信社杯競輪もあるし。でも、いざ優勝したら先輩が興奮しちゃって完全に忘れてしまったみたいで結局着たのは表彰式の最後の5分ぐらい(笑)。絶対テレビに映ってないですよね。小野さんは冷静ですごいなぁと思いました(笑)。
自分の場合は最後にグランプリが決まったので、「何をすればいいんだ」と結構焦りがあったが、今回ここに来る前に、山田さんがグランプリに臨むにあたっての過ごし方を隠すことなく教えてくれた。山田さんは自力の時も、番手の時もグランプリに乗っているんで、「お前の場合は・・・」と教えてくれた。その中で一番心に残っているのは「入ったらジタバタするな」という言葉。みんな現場に入ってからも練習するけど、練習量が足りないぐらいでいいと言われた。その通りに、言葉は悪いですが「グータラの生活」をしていた。合同練習のサービスでもがいた以外は走っていない。自分が誰よりも脚が余っていたはず。優勝する自信はなかったが、最高のパフォーマンスを見せられる状態に仕上げる自信はあった。
また、早くグランプリの権利を獲るよりも、最後に決まったのでそのままの集中力で臨めたのがいいと思う。12月の月給1億3千万ですね(笑)。でもグランプリを勝って賞金王になれたことが嬉しい。競輪選手にとっての最高のステータスですからね。
グランプリは、言葉が悪くなってしまうが「麻薬」みたいなもの。あれは一度味わってしまうとダメ。来年もタイトルを獲って、絶対また出たい。
全日本選抜の時には80期代にタイトルを持ってこれたが、今回は9人の中で一番若い自分が優勝できたことに意味があると思う。正直言って80期代は恥ずかしい状態。グランプリに乗ったのが2人しかいない。もう90期もデビューしているというのに。最初にグランプリのメンバーを見たとき、それを強く感じた。自分か武田さんが勝てば、変わるんだろうなと思っていた。これで新しい波となって競輪界を飲み込むことができると思う。自分もグランプリの覇者として、競輪がすばらしい競技なんだということを、まだ競輪を知らない人にアピールするようなことをしたい。
自分の競走スタイルは今日のレースが全て。常に攻める気持ちで走ってるんで、来年になってもそれは変わらない。今年は大ケガをしたが、その時にも自分を支えてくれた仲間たちに本当にお礼を言いたい。浜口さんから始まり、山田さん、山口兄弟と続いている岐阜の王者の系譜を、今回優勝することで少しだけ受け継げたかな。 |