怪我との闘いだった
父の勧めで、周りより少し遅れて高校の自転車部に入った。力の差を埋めるべく、毎晩父と相談しながら練習に励んだ。
「死に物狂いだった記憶があります。練習はとにかくキツかったけど、やればやっただけ面白いように強くなれました」
しかし、早くから腰痛を抱えることになった。選手になってからも常に怪我との闘いだった。それでも競輪が好き。
「人と人とが闘うことで、嫌なところもカッコいいところも見えて、そんな人間くささが面白い」
息子・勇吾(115期)が去年夏にデビューした。
「僕と父は手探りでやってきたけど、競輪に必要なトレーニングや人間関係など、プロとしての経験をアドバイスできるかなと思います。そして毎日楽しく、一生懸命に生きて、1日でも長くここにいたいと、今はそういう気持ちです」