インタビュー

引退への決意
後閑信一(東京・65期)
一見、強面だが、実は礼儀正しく素晴らしい人間。それが後閑信一氏だ。
期別は65期。この期には、スーパースターが多かった。代表されるのは吉岡稔真氏、海田和裕氏、山本真矢氏、そして後閑信一氏だろう。他にも65期の選手は名選手が多い。
後閑信一氏が引退を決意した。競輪選手生活28年目に入ろうかというときである。
このインタビューは、平成30年1月2日、京王閣競輪場で後閑信一氏の引退セレモニー後に行った。
-まず引退を決意された理由を教えて下さい。
「本当は60歳、70歳まで現役を続けるつもりでした。2013年に地元の京王閣で、自力で捲って優勝した第56回オールスター競輪と同じ景色をもう一度見たい、という想いをかけて200%以上の力で肉体的にも精神的にも練習に励んできました。
過去の自分のレースと比較して、今の力ではもうGIの優勝を狙える脚ではないなと感じました。車券もかかっているので自己満足だけでは走れません。ファンの皆さまの期待に応えるパフォーマンスに至らない、と思ったので引退を決意しました。
競輪の虜になってしまった自分は、今まで人が思いつかない練習をあみ出してきました。若手の選手たちが色々聴きに来たときに教えたりもしたのですが、自分の感覚の中でやって来たので、理論的に分かりやすく説明することが出来なくて、ちょっと自分の中でももどかしさを感じました。
まだ身体に力もありますし、研究する興味も湧いてきて、若手の指導とか育成にも興味がではじめています。今後どのようになっていくか分からないんですけれども、競輪界とファンの皆様に恩返しをしたくて、解説や評論などにチャレンジしたいなと思っています。
情熱はあるので、自分独自で培ってきた技術や自転車の素晴らしさ、日本人の身体の使い方だったり、パワーだけではない技術の部分で、競輪を勝負できるんだということを伝えていきたいと思います。
ファンの方にも同じ事が言えると思うんですよね。やっぱり競輪と言うのは、魅力あるスポーツギャンブルなので、その奥深さをこれからも伝えて行けたらな、と思います。人と人がぶつかり合う凄く刺激的なスポーツじゃないですか、自分はそこに競輪の虜になってしまったので、その素晴らしさを伝えて行きたいです」
-後閑氏が考える1番の競輪の魅力はどのようなところでしょう。
「競輪と言うのはライン戦で、ただ勝てばいい訳ではなく、そこに至るまでの人との繋がりや努力があります。そう言うことをお客さんが推理しながら、(車券を)当てていくと言いますね。そういうお客さんの想いに応えて行けるスポーツであるし仕事だと思っています。
実際走っている選手は、壮絶な人生を送っていると思うんですよね。勝ちたいと思う気持ちとファンの皆様の期待に応えたいという想いで、何重ものプレッシャーを抱えて走っています。
いま思うと、本当に壮絶な選手生活だったなと言うことを感じますね。日本と言うのは四季があって、素晴らしい国です。振り返ってみると、全く四季も感じずに、美しいものをみても美しいと感じられないぐらい競輪の中に入り込んでいて、家族で温泉旅行に行っても、次のレースのこととか目先の事を考えていました。家族の笑顔で癒されることもありますが、温泉に入っても癒やされる状態では無かったです。
それぐらい壮絶だったし、自分は骨折とか多かったんですけど、当時は痛くないんですよね。それぐらい集中していたので、人間そこまで出来るんだということ、気持ちが大事なんだなと言うのを競輪で学びました。自分は20才でデビューして、まだまだ未熟者なんですけども、ここまでこれたのは競輪選手と言う職業で人格を作り、皆さんに感謝の気持ちを表現できるようになったなと思うので、競輪という職業に感謝していますし、競輪選手で幸せだったと思いますね」

第56回オールスター競輪決勝ゴール
4番車が後閑信一

表彰
 
-その競輪から解放されますが

バンクを周回しファンに挨拶をする後閑氏
「そうですね。美味しいものを食べたら美味しいと感じられる、綺麗なものを見たら綺麗だなと思える、普通の人が感じることを経験したいですね。
毎回レースに行くときには、前日に家族と食事をして、家族の顔を一人一人見て、もしかしたら会えないかも知れないという覚悟をもって、挑んできました。それぐらい自分は張り詰めて、命を懸けて来ましたね。
いま、無事に引退することができたので、散々迷惑をかけてきた家族に、家族孝行もしたいなと思っています。
自分でも正直信じられませんが、(引退については)本能が決めさせたというんですかね。過去に、辞められないけど辞めたいという気持ちで葛藤がありましたが、本当に決断を出すときというのは、本能が語りかけるものだとわかりました。
この瞬間も、他の選手も壮絶な競輪人生を送っていると思います。命を懸けてお客さんの車券に貢献しようと思い、練習やレースに臨んできます。その選手たちに、"1レース1レースこれが最期だと思いを込めて走れば本能が問いかけてくると思うので、その日まで安心して頑張って下さい"と言いたいですね」
-同期65期への思い
「競輪学校に65回生として入学して、もちろんトップで走れるだろうなと思っていたら、吉岡稔真君という途轍もない人がいました。やっぱり彼がいたからこそ気が緩むことなく、デビューしてからあの強さを見せつけられたときには、自分の中で、"悔しい気持ちと言うよりも、遥か彼方に、雲の上にいきなり行かれてしまった"という感じでした。彼の存在があったから自分はここまで頑張れたし、65回生全員に負けたくないという気持ちで今まで走ってきました。現在では、65回生で(現役で)走っている選手も少ないですが、心から応援したくなります。昔は負けたくないと思ってましたが、65回生97人へ本当にお礼が言いたいですね」
-関東ラインへの思い
「自分が頑張れたのは、ふたつ上の先輩の神山雄一郎さんの存在です。自分がタイトルを獲った後も、"まだまだだ"と思えたのは神山さんがいつも上を走っていて、上には上がいるんだなということを、いつも心に留めていたからです。
そして関東ラインですが、武田(豊樹)君や平原(康多)君や数多いトップクラスの選手が周りにいて自分は恵まれていました。心の絆というか、お互いが認めあっていましたね。武田君とかは結構言い合いをしたこともありますが、その後は"お互い青春しましたね"って言って握手をしたり、けっこう楽しかったですよ。それぞれの思惑があるので、ラインとしてぶつかり合ってきたからこそ、信頼感が生まれました。すごく人との心の触れ合いがあるスポーツなんだなと思いました。平原君も若いときに、少し乗り方とかペダリングの角度とかアドバイスしたら、素直に受け止めてくれました。いつになっても舞い上がらずに謙虚な気持ちで戦っている平原君の謙虚さは、自分も勉強になりました。本当に強くなってもらいたいなって思った選手ですから、グランプリも走り活躍している姿をみると嬉しくなるし、関東ラインの仲間がいたから自分がいるなということが分かりますね」

引退セレモニー。バンク周回後胴上げをされる

バンク内からファンに挨拶をする後閑氏
-ファンにコメントをお願いします。
「オールスターのときも、今までのレースも全てそうだったんですけど、ファンの皆様の地鳴りのする様な声援を受けて、自分の力以上のもので押されていたような気もするんですよ。本当に、ファンの皆様に感謝しかないですね。全てファンの皆様の応援があったからこそ、ここまで来ることができました。現役中は、競輪場で多くのファンの方と触れ合うことができました。引退後は、競輪選手の凄さや、ファンの人に対する感謝などを伝えていきたい、と思っています」