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三ツ井勉(神奈川・45期・A級3班)
三ツ井勉選手が2019年11月23日に取手競輪で1着を取り、最高年齢勝利記録を達成しました。
謙虚・真摯を体現したような三ツ井選手。これだけ長く頑張ってくるためには、それだけ長く競輪と向き合って、そして練習を頑張ってきた成果だと思います。今後もそのひたむきな走りで頑張ってほしいです。
自分は不器用だし、その時、その時の自分の出来ることをやってきた結果だと思います

12月4日に平塚競輪場で最高年齢勝利記録セレモニーが行われました
-最高年齢勝利を達成した時の心境は?
「自分はそういう記録は知らなかったので、普通に1着だなって喜んでたんですけど、あとから新聞記者の方からそういう記録だって言われて、それで知りました。周りの人たちがすごく喜んでくれたので、それが嬉しかったですね」
-三ツ井選手がレースで特に心がけていることは?
「自分は脚がないもので、なので気持ちは負けないように!それだけですね」
-気持ちが持てることが一番すごいと思いますが
「いえ、脚がないからですよ(笑)。脚があれば気持ちがなくても勝てるんとは思うんですけどね」
-これだけ長い間、練習を続けてこれたのは?
「自分なりの練習をしてきたからだと思いますね」
-練習はどんなところを中心に?
「若い時と今は練習も変わりましたね。今はなるべくスムーズに漕ごうとか、ダッシュ時の身体の動かし方や、持久系の練習時の身体の動かし方を考えたり、それぞれによって考えてやっていますね」
-自分を奮い立たせてくれるものは?
「特にはないですね。でも、『辞めようか』って思った時に、自分にはこれしかないからって思うんです」
-今まで若くして辞めていた選手たちもたくさん見てきたと思いますが。
「それぞれ事情があったと思います。ケガして辞める人もいるし、家の事情で辞める人もいるし。自分はたまたま長く出来たというだけですね」
-これだけ長く続けられることがすごいと思いますが、三ツ井選手自身はあまりそう感じてはいないんですか?
「自分は不器用な面があるので、これ1つしか出来ないって思います」
-競輪と向き合ってきた結果が今ここにいるということなんですね。
「若かった時も先のことを考えていたわけではないし、その時、その時の出来ることをやってきた結果だと思います」
-いくつもケガ乗り越えて本当にすごいと思いますが、特に59歳の時に骨盤骨折って大変だったのでは?
「59歳の骨盤もですけど、58歳の腰椎のケガの方がダメージを大きかったですね」
-その時に悩んだりしなかったんですか?
「致命的ではなかったので、治ればまた元に戻るって思ってました」
-長く選手をしてきて、競輪が変わったこともずっと見てきたと思いますが、どうでしたか?
「ルールがデビューした頃から変わりましたからね。デビューした頃は何でもありというか、ヨコがすごかったですからね、昔は(笑)。でも、ルールが変わっても選手はそれなりに対応していくだけですからね」
-では、弟子の松井宏佑選手に言葉をかけるとしたら?
「まだまだ上があるので、一気に上までいって頑張ってほしいですね」
-三ツ井選手のように長く頑張りたいと思う後輩は多いと思いますが、彼らにアドバイスするとしたら?
「やりたいという気持ちがあれば出来ると思います。自分は大して素質がない選手なので、それが今まで出来るんだから、もっと出来ると思いますね」
-長く応援してくるファンの皆さんに伝えたいことは?
「ありがとうございます、という感謝の言葉が一番大きいですね」
-三ツ井選手にとって競輪はどんな存在ですか?
「あんまり言葉として考えたことはないですけど、自分が選手になって心身ともにお世話になった感じでね。おかげで家族と生活できてきたし、色々と自分も成長を出来たと思います」

息子の三ツ井武選手が花束贈呈にかけつけてくれました
三ツ井勉(みつい・つとむ)
1955年10月10日生まれ。身長170cm 体重72kg
息子さん(武選手)と一緒の開催は?
「4、5回くらい一緒の開催はありますね。(息子の)デビュー戦で一緒だったんですけど、目の前で鎖骨落車(落車、鎖骨骨折)でしたから、その時はちょっとね、見ていて苦しかったですね…。息子のレースを見ている方がヒヤヒヤするものですね。
前はあんまりしなかったけど 、最近は自転車の動かし方について話をしたりするようになりました」 前は何で話さなかったんでしょうか? 「向こうが避けていたんだと思います。アマチュアの時に僕が厳しく言っていたからかな(笑)」