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萩原操(三重・51期・A級1班)
萩原操選手が6月9日の四日市で優勝し、A級1・2班戦最高齢(56歳10カ月)記録を更新しました。
これだけ長きに渡り頑張れるその源とは?また、日々、心がけていることなどを話していただきました。
1日、1日を大事に頑張っていきたい!
-まずはA級1・2班戦最年長記録更新の感想を教えてください。
「うーん、なんというか、周りの方々が喜んでくれたのが嬉しいですね。自分としてはそんなになかったんだけど、年齢の近い50代とか僕らに近い選手は常に自分のことを意識してくれているのかわからないですけど、(今回のことを)喜んでくれました。あまり話をしたことがないような選手でも話しかけてくれたりするのでそこら辺が嬉しかったですね。
優勝というのは意識してなかったので、自分に与えられたことをやるだけだったので、もう今は年齢との戦いなんだね(苦笑)、そこら辺は意識してなかったけど、周りの人は僕以上に意識してくれていたのかなと思います。」
-長年、頑張れる秘訣は?
「10年くらい前から(自転車競技)未経験の子で競輪選手を目指している子を指導するということをずっとやってきたんです。なので、一から教えなきゃいけない、ということは僕も一からやるということなんで、同じこと同じメニューをマンツーマンでやっているんですけど、それを今まで続けているんですよ。それで、何人か選手になった子もいるんですけど、そういうことも自分の力になったりしていますね。だから、その子たちには感謝しています。」
-今、お弟子さんも?
「そうですね。谷口(明正)、神田(龍)とか、最近で言えば、太田美穂 や、下井竜、近澤諒香とかですね。皆、全くの素人だったので、もうヨチヨチ歩きから始めたようなヤツらばっかりで、それが今や立派な選手になりました。高校の時に自転車競技をやっていたなら僕もそこまでではなかったと思うけど、真っ白な状態からどこまでいけるかなっていうことが自分の中で力になって、教えることになって、自分にもプラスになっていったというか、それで10年間続いた感じですね。」
-萩原選手が優勝した直後に伊東ルーキーシリーズで近澤選手が、『師匠の優勝を見て、自分も頑張りたいと思った』と言っていました。
「諒香も2着でしたからね。(自分が優勝した時も)すぐにLINEが来て、『操さんが優勝したんで、私も頑張ります!』って感じだったので。朝早くから練習しているんで、皆で強くなろうという感じでやっていて、喜んでくれたんだと思うし、お互いというか、また諒香の頑張りを見たら自分も頑張ろうと思うので、そこは持ちつ持たれつの世界というかです。
まぁ、選手になってからは僕から手が離れた状態なので、自分で頑張れ、それまでは僕も一生懸命に教えようと思っているので、自分のやりたいことや自分の考えもあるだろうし、そこまで干渉しないようにしています。でも、選手になるまでは力を貸そうと自分も頑張ってきたことが、1年、1年頑張ってきた成果が今出ているのかなと思います。」
-萩原選手が、競輪選手を目指したきっかけは何だったんですか?
「父(萩原稔・引退)も選手だったし、兄貴(萩原誠・引退)も選手だったので、自分もそういう道にいくのかなと小さい頃から過ごしていました。高校生の時に、親父に『自転車に乗れ』って言われたんですけど、その時にもう兄貴は選手だったので、兄貴と親父は毎日、『練習せぇ』『遊びに行くな』とかって喧嘩していたんですよ。それを子供の頃からずっと『イヤだな』って思いながら見ていたので、僕も選手を目指したら、そういう風に言われるんだろうなって、どうしようかなと思いながら、高校1年生になって、自転車に乗らないで野球部に入ろうと思っていたんですけど、なんか野球部の先生が入れてくれなくて、もう自転車に乗るっていう話ができていたみたいでした(笑)。もう、そこから反発になったけど、でも、(野球部に)入れてくれないならしょうがないってなって、それで、親父に1つだけ条件を言ったんです。『俺は自転車に乗るけど、何にも言わんといてくれ』って。それで『言わない』って約束になって、そこから自転車に乗るようになりました。でも、僕もそう言った限りは、何も言われないようにしようと思ったので、たぶん、それがよかったんだと思います。言われないように頑張ろうと思って、そこから自転車人生が始まりました。でも、親父はそこから本当に何も言わなかったんですよね。そういうのがきっかけで今に続いているような気がします。」
-でも、それがあったから自分で頑張らなくてはと思えたということですよね。
「そうですね、言われないように自分がしなくちゃいけないって、そういう気持ちがどこかにあったのかなと思います。親父も言いたいことがあったのに言わなかったのもわかったし、だから、自分なりに頑張ってきたので、きっかけはきっかけでよかったのかなと思います。  自転車に乗るのも(他の人に比べて)少し遅れたんです。夏休み過ぎていて、そこから乗り始めて、他の人とは少し開きがあったんですけど、そこから自分も必死に乗って、1年後の国体で優勝しているので、自分なりにかなり努力はしたと思うし、だから、そういうのが今だに続いているような気はします。何も言われないようにとか、自分が先頭でという気持ちは今も続いている気がします。」
-次の目標は?
「目標というのは、今の年齢ではないですけどね。1日、1日、現状維持を目指しているのでね、僕は。昨日と同じ感覚が、今日あったらいいんですよ。年齢とともに下がっていくものなので、昨日と同じであれば、1日成長しているような気がするので、それを毎日確かめているんですよね。だから、それをずっと続けています。だから、目標と言われたら、昨日の感じが今日もあれば、自分の中ではすごくいいことなので、それを繰り返すことが、常に自分の中でルーティンじゃないですけど、そういう感覚でいます。優勝するとか、何歳までやるとか、そういう目標は今はないですね。昔は、50歳までとか、55歳までS級ということを目標にしていたんですよね。それはクリアできたんですよね。でも、55歳になって、次って思った時に全く思いつかなかったので。それは自分でもわからんし、なので、1日、1日を大事に。もう走っている人の方が少ないので、同期もほとんど引退していったので、やっぱり苦しい状態になっていくのもわかるし、だから、走れるだけで幸せを、喜びを感じて走ろうと思っているだけですね。」
-練習やレースの日々の中で、癒しの時間は?
「釣りにいったり、遊ぶ時は遊びますね。節制とかこれをしちゃダメとかいうのは自分の中でなくて。でも、毎日、自転車に乗るということだけは決めているんです。遊びにいく前に5分でもいいから自転車に乗ったり、さわったり、それは常に続けていることです。なので、6時に釣りにいくとしたら、5時に自転車に乗るとか。それは一緒に遊びに行く人たちも理解してくれているので、ちゃんと乗って、楽しむという感じですね。」
-ファンにメッセージをどうぞ。
「富山でも『おめでとう』って言ってもらえたり、本当にファンの方の存在はありがたいですね。自分でも覚えていないような、色々なレースのことを覚えていてくれたり、本当にありがたいし、ファンの方にびっくりすることはいっぱいあるんです。毎回、毎回、全力で走ることを心がけているので、そういう姿を1日でも長く見せられるように頑張りたいです。」
萩原操(はぎわら・みさお)
1963年7月29日生まれ。身長176cm 体重78kg
どんなことを考えて練習するんですか?
「若い子が強くなるにはどうしたらいいかって、自分のことよりもそれを考えるわけです。若い子のタイムが出なかったら、どうやったらタイムが出るんだろうって、山登ってギアをかけたりとか、自分のことじゃなく他の人のことで考えられるんですよね、それでタイムが上がったら、これはいい練習なんだなって人を通じてわかることもあるんですよね。そうやって考えながら毎日を過ごしています。そうしたメニューを自分もやってみて、自分も強くなったり、そういう風に皆で考えたり、やったりする中で光を見つけたりして、そういうのが楽しかったりするんですよ。ダメだったらやめたらいいし、逆に、バシって決まってタイムが急に伸びたり、1つのきっかけになったりと、面白いことがいっぱい起こるんですよね。たまに奇跡も起こったり。選手になった中に、タイムが出ずに、明日が試験っていう時にもうダメかと思ったけど、自分が今乗っているエースの自転車と靴で乗ってみろって言って、それで受かった子が2人います。何がどうしてかはわからないけど(笑)。何かそういう力が乗ったり、想いが乗ったりするのかなと思って、そういう奇跡がいっぱいあるんですよ。だから、最後まで諦めるなということは常に言っているし、自分もそう思って、それを続けています。」