林慶次郎 福岡 111期 A級2班
先行は栄光への架け橋
林慶次郎
すべては未来への架け橋だ。3日間は全レース計ったかのように赤板からの先頭発進。ゴールまで他ラインの反撃や絶好番手の差しを許さずに逃げ切った。それは7車立てでも、ミッドナイトでも条件や環境は関係なかった。5月13日からの奈良ミッドナイトは、A1を飛び越えて来期(19年7月)のS級へ向かうための布石と決めたシリーズだった。
17年7月松阪でデビュー。完全Vを飾り、幸先いいスタートを切った。しかし順風な出世とはならなかった。次節の落車の影響で2カ月の入院を余儀なくされて、体のバランスを崩してしまう。だが同期が特別昇級を決めて先を行っても焦りはなかった。「簡単にS級に上がっても、すぐに頭打ちにあって、落とされてしまう。力を付けて上がらないと意味がない」。それは自分をレーサーへの道に導いてくれた父・孝成さん(59期・引退)の教えでもあった。祖父・雄幸さんも期前の選手だった親子三代のサラブレッドだ。兄・大悟はすでに徹底先行で鳴らすS級選手として活躍中だ。
「父の考え方は昭和の教え。徹底的に乗り込んで、乗り込んで地脚を付けるやり方。僕も脚質はスプリンターだけど、末永くやるためにはそれでいいと思っている。今のナショナルチーム風の鍛え方とは逆行しているとは思うけど、人それぞれ強くなるにはやり方は違うと思う」。令和に羽ばたこうとしている新星が父が歩んだ昭和の競輪道を胸に秘めているのが面白い。兄弟とも競輪学校時代は、勝利よりも主導権を取り切る競走を続けて下位に甘んじた。それも父の考えに従ったものだった。
兄と違ったのはレーサーになることに迷いがなかったこと。レーサーだった父に憧れたのはもちろん、物心つくころに地元の競輪祭を生でみて心震わされた。「自分は自然と競輪選手になるもの」と思いこんだ。小学校1年から兄と始めた極真空手も高校2年できっぱり辞めた。父には「選手になるならスポーツで成績を取れなくても俺が絶対に選手にならしてやる」と保証された。ピストに乗るのが遅くても不安はなかった。
兄と同じS級の舞台に立つ。夢は大きく兄弟で地元の競輪祭決勝に乗ること。「兄ちゃんも前を譲らないんだろうな」と笑う。実は三男の昴君も選手を目指している。令和の新時代に林3兄弟が九州をけん引する栄光の日を信じて、今日も風を切る。
奈良競輪場より