徐々にS級の水に慣れて芯が通ってきた。大地に根付く〝蕗〟の根のように―。
19年7月の平塚からS級の舞台に立った。先行主体のスタイルはA級と変わらない。もちろん簡単に主導権は取らせてくれない。強引に先頭に立っても、早めに仕掛けたり、好位をすんなり取られて、あっという間に巻き返してたたかれる。それでも平塚、小倉、向日町と戦っている内に手応えはつかみつつあった。「流れに乗って自分のタイミングで仕掛けられたら戦える」。着は取れなくても競走の質が上がってきているのは感じていた。「最初を考えたら、ここまでプラン通りにはS級に上がって来られた。後は経験を積んでいきたい」と前向きにとらえられている。
子どもの頃から夢はサッカーのJリーガーだった。憧れは日本代表の長友佑都さん。自分の考えにぶれないで目標にまい進する生き方にほれた。FWとして大学までの10年間は丸いボールを追いかけた。自分の限界を感じ始めていた時に師匠である高橋俊英(93期)と出会い、競輪レーサーの道があることを教えてくれた。中途半端にはできないと大学を中退して師匠にイチからピストの乗り方から教わった。自転車に乗って1年未満で111期の試験に合格した。
競輪学校では先行にこだわり未勝利に終わったが、勝負は選手になってからと割り切っていた。技能試験で破格のタイムを出せたように一発勝負での強さを発揮したのは、松山で行われた全日本プロ選手権自転車競技大会だった。1kmタイムトライアルで今まで出したことのない1分4秒台のタイムで南潤、渡邉一成に続く3位に入り、今年10月地元で行われる寬仁親王牌の特選シードを確保した。
「S級に上がってすぐにGIを経験できるのは大きい。強い人ばかりで何もできないと思うけど見せ場は作りたいし自分の足りないものを見つけて次へのステップにしたいですね」と大きな舞台に期待を膨らませる。「僕は不器用だからひとつのことしかできない。サッカー漬けの毎日から今は競輪一本。競技は変わっても長友さんのように自分がやると決めたことにぶれずに戦っていきます」と目を輝かせた。