嘉永泰斗 熊本 A級2班
2020年は飛躍の年に
嘉永にとって、2019年は最悪の年だったのかもしれない。きっかけは1年前の2018年12月に四日市競輪場で行われた「レインボーカップチャレンジファイナル」だった。「特進を目指して頑張ったのですが、コケてしまって…。左脚を肉離れしてしまった」。その後、ケガも癒え、復帰するが「脚のケガが完治したと思ったくらいから、ひどい腰痛に悩まされるようになった」という。負傷した部分を無意識でかばいながらの練習、競走で腰に過度の負担がかかったようだ。そんな状態でも、2月松阪で3場所連続の完全優勝を決め、A級2班に特別昇班するのは恐れ入る。しかし「4月くらいから、腰を曲げるのも苦痛になり、日常生活にも支障をきたすようになっていた。練習もできなくて…。プロとして練習できなかったのが一番苦しかったです」と、当時を振り返る。それでも4月久留米で11(4)、5月高知で11(7)と連続優出を果たし、その後の弥彦でA級1、2班戦の初優勝を飾るなど、ポテンシャルの高いところを実証していた。
そんな嘉永に追い打ちがかかる。6月大垣の準決で、先頭誘導員早期追い抜きの失格を犯してしまうのだ。「あの時は、相手の自力型も強くて、とにかく先行しなければと無我夢中でした。とにかく逃げたいという気持ちが強すぎて(早期追い抜きを)してしまったが、レース後に自分のやったことに気付いて、頭の中が真っ白になってしまいました」。違反による長期欠場を覚悟し途方にくれた。だが、これが嘉永の復活のきっかけが生まれることになる。周囲から「せっかく、長期のお休みを頂いたのだから、思い切って腰を手術したらどうか」というアドバイスを受け、実行に移すことに。「手術をして7月いっぱいは体を休め、8月から復帰を目指して練習を始めました。腰に不安なく練習できるというのが、やはりいいですよね」。体調の不安もなく臨んだ9月福井で11(4)と好スタートを切った。
しかし、運命の神様はさらに嘉永に試練を課す。続く松戸の準決で押し上げ失格で、自らも落車し左鎖骨を骨折してしまったのだ。「復帰2場所目の松戸でコケた時は、自分自身が嫌になった」と苦笑い。それでも、バンクに戻ってきた11月の前橋41(6)と優出、続く松戸は準決敗退の231ながら、11月武雄で11(5)と好走し、着実に本来の力を発揮しつつある。
「腐らず頑張れたのは、やはり同期のおかげですかね。同期は早々とS級になって、S級でも頑張っている。はやく、追い付きたいというあせりはない。むしろ、同期に追い付くためにも、今、頑張らなければという気持ちです」。思い切り練習のできる体調に戻った嘉永。年が明けた2020年にエンジン全開となるはずだ。
武雄競輪場より