「ウィズコロナ」―ある意味それを体現した選手となった。新型コロナウイルス感染症拡大防止の影響で中止が相次いだ20年5月中に3場所連続完全VでS級昇進を決めてみせた。9レース中、最終バックを8レースも奪って勝ち切る力強い内容だった。
19年7月にデビューして4場所でチャレンジを特昇でクリア。A級1、2班戦でもすぐに順応してコンスタントに決勝進出を続けた。安定した成績が一気に結果として爆発したのがコロナ禍の5月だった。浮上のきっかけは9連勝を決める前の4月小松島のA級決勝だった。打鐘から最終ホームまで何度もあった仕掛け所を逃し後退。巻き返し及ばず先捲りを放った多田晃紀に優勝をさらわれた。
「下手なレースをしました。先行にはこだわってなかったけど、積極的なレースをしないと自分の持ち味が出ないなと思い直したんです。その後中止があって考えて練習する時間ができたのも大きかったですね。いつ開催が中止になるかわからない状況でこれまでだらだらやっていた練習から集中して取り込めるようになった。コロナ様々ですかね」と災い転じて福とした。
ロードレースを趣味とする父親の薦めで高校から自転車競技を始めた。トラックの短距離種目で全国大会に出場するなど結果が出てレーサーになろうと決意した。本当は「しんどい事は大嫌い」な普通の高校生が自転車競技で勝ち続けることで挫折もなくS級までデビュー1年未満で羽ばたいた。「しんどい事をしないと強くなれないのは分かりました」と練習は嘘をつかない事も学んだ。
迎えたS級初戦の武雄初日。迷いなく先行して4着に粘った。準決はホームからカマす得意のパターンに持ち込み2着でラインワンツーを決めた。決勝は中本匠栄―大塚健一郎を引き連れ慣れない抑え先行で別線に主導権を渡すことなく大塚の優勝、中本2着に貢献するライン先頭の仕事をやり終えて納得の7着となった。
「持ち味はダッシュを生かしたカマシだけど課題の地脚を付ける練習で航続距離も伸びてきた。少し自信をつけてS級に挑めた。早くGIII記念レースも走っていろんな刺激をもらいたい」。ウィズコロナの申し子が、収束後のさらなる進化を目差し九州の大型先行としてS級定着にチャレンジだ。