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梶應弘樹 愛媛 A級1班
不屈のプロ魂
1992年8月に岸和田競輪場で行われた「全日本選抜競輪」の覇者、競輪界のトップに君臨した梶應が、2020年9月の時点で競走得点が79点台と苦しんでいる。「1年前から股関節に痛みを感じていた。無理して練習すると夜は(痛さで)眠れないくらいきつかった。レースが終わって、動けなくなることも徐々に増えだしてきた。ますますひどくなると、レース後は歩くことも困難になった」という。MRIやCTなど、さまざまな検査をするも原因が分からず、苦悶の日々を過ごしたという。
「それでも、昨年の12月の伊東記念の時はだいぶ良くなっていると思っていた。でも、最終日に腰に(違和感が)きた。その後の1月小倉がボロボロだったので、股間節にメスを入れることを決断」した。手術に至るまで、梶應は3つの選択肢を考えたという。①このまま痛みに耐え、3年くらい頑張ってから引退する。②すぐに引退する。③治るかどうかはわからないし、リスクはあるけど、可能性を求めて手術する。「ファンは、連に絡む可能性が低い自分みたいな選手も応援してくれる。満足な状態で走れない、まったく連に絡めない状態で走っていてはファンに失礼にあたると思った。自分で納得できるレースができないようなら引退しかない。でも、万が一でも治る可能性があるならば…」という、プロ意識が手術を決断させた。
今年4月に内視鏡手術に挑んだ梶應。「医者からは、他のスポーツ選手で術後に以前と同じ水準まで戻った人はいないし、復帰した選手もいないと言われ不安になったけれど、この痛みが取れたら、現役続行ができるかもしれない。」という強い思いで臨んだという。手術後2ヶ月入院、医者から3ヶ月は運動禁止を言い渡されたが、現役復帰を見据えて、密かにトレーニングを開始。「7月の検査で、医者から筋肉が落ちていないけど、どうゆうことですか、と怒られました」と、笑って語る。
そして、8月玉野で見事に復帰を果たすことになる。「着は悪かったけどね。踏み込んでも力が入るくらいに戻っていた。」と、かすかに手応えをつかんでいた。続く久留米の2日目は2着入線と連絡みも果たしていた。「1着取れそうなコースは見えていた。そこを突っ込み切れなかったのは悔しいね。」と、闘争心も戻ってきた。なにより、そのレースの個人上がりタイムは11秒5。確実に体力は戻りつつある。「今、70点台だからね。S級復帰を目指すなんておこがましいと思っている。まずは、A級で決勝に乗ること。それより先に予選突破だね」と、54歳のベテランはプロとして完全燃焼を目指している。


久留米競輪場より