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直送!競輪場便り
内山雅貴 静岡 S級2班
目指せ!赤い彗星II世
 懸命の追い込みは、後一歩届かなかった。ようやく秋を感じさせる涼風が緩やかに吹く10月4日の川崎FIのS級準決勝。打鐘過ぎ、同期森田優弥の先行を、格上松岡健介が、すばやくたたき、もがき合いとなった。別線がやり合い最終バックは実質3番手から足をためていた内山に絶好のS級初の決勝進出のチャンスが来た。それでもこれがS級の戦いだ。諦めない6車が最後の粘り腰でゴールは横一線でなだれ込む大接戦となった。1~6着までの差は4分の1車輪、2分の1車輪、4分の1車輪、タイヤ差、2分の1車輪差とわずかだったが4着で決勝進出はかなわなかった。
 最終的には2、4、4着の成績で終わったが、今年3月末に小倉でS級特別昇級から、コロナ禍の開催中止を挟んで5月末にS級デビューしてようやく「S級で戦っていける」手応えをつかんだシリーズとなった。
 開催前に森田ら113期の同期や115期の後輩と行った合宿の成果もあった。落車の影響もあり伸び悩んでいたA級時代に浮上のきっかけをくれたのも同期の山田諒だった。「自分本位のレースをするんではなく、後ろで援護してくれるラインのために走ることも覚えた方がいい。それがS級の走りにつながる」というアドバイスをもらい、ラインを連れての果敢な仕掛けを心掛けて特別昇級につなげた。師匠の新田康仁に「目先の勝ち負けにこだわらず、まずは脚力アップを目指せ」と口酸っぱく言われ続けてきた意味もS級での戦いで身に染みてきた。
 兄の影響で始めたロードレースに高校を卒業して本格的に取り組んだ。ヤマハがバックアップしていた留学制度を利用して本場のフランスに渡り2年半の武者修行に出た。実戦を中心にヨーロッパ中を渡り走り続けるレース漬けの過酷な毎日だった。ただロードのスプリントとトレーニングの一環として行ってきたトラック競技は楽しかった。それを見ていた監督から競輪選手を薦められた。「養成所時代の訓練はフランスでのしんどさを考えたら楽に感じた。あの経験があったからこそ向上心をもって戦えてる」と胸を張る。ロードレースで自転車競技の本場の風を知った男が、バンクの風を切り裂きS級定着を目指す。そして神出鬼没の仕掛けで〝赤い彗星〟とGI戦線で恐れられた師匠の技を継承して、頂点を目指すロードに立ち向かう。


川崎競輪場より