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武田豊樹 茨城 88期
関東の支柱
日本選手権競輪は圧倒的な強さで松浦悠士の優勝で幕を閉じた。清水裕友との信頼関係が更にアップする結果にもなった。ナショナルチームの脇本雄太、新田祐大が戻ってくるまで、現状の勢力図は変わらない。
そして、あの関東ラインの走りに賛否両論あったのは確か。
平原康多を背負った真杉匠だが、郡司浩平に蓋をされて、力を出し切れなかった。郡司が切ってくれると思ったのだろうが、やはり、歴戦のつわもの達は、そこまで甘くない。セオリーは後ろ攻めだし、何故、平原がそうコントロールしなかったのか不思議との多くの声を聞いた。
地区毎の特色はあるが、近畿は村上義弘が君臨していて統制が取れている。
中四国は、わりと自由な雰囲気がある。
九州は煩いマーカーが多かったので、逆に先行選手が育たなかった。
そして、現状、関東をまとめているのは平原康多だけだ。ここに、関東がラインとして機能しない理由があると思う。やはり、武田豊樹、平原康多の、両巨塔態勢の復活が望まれる。
武田は
「7車になり競輪が変わった。若手がタイムを競う様なレースになり、後ろの事は考えなくなった。今の関東を支えているのは康多だけ。康多は優しい性格だから、煩い事は言わない。そこが問題だろうね。鬼軍曹と言うか、厳しく教育するのがオレの役目だけど、弱っているから、みんな聞く耳を持つがどうか(笑)」。
自虐気味に語ってくれたが、話していても武田のオーラは全盛期のままだ。
「みんなどこを見ていると言うか、どこを目指しているかだね。やはり、選手になった以上、頂点を目指して欲しい。生やさしい世界ではないけど、このオレさえ、まだGIのタイトルを目指して頑張っているので」。
これは驚いたが、ただひとつだけ、達成出来なかった目標があると言う。
「先行した時は、全部、神山雄一郎さんに差されている。捲りなら、当然、抜かれないレースもあったけど。やはり、神山さんは超えられない壁だった。自分の持ち場が自力でなく、追い込みになったので、これは難しくなってしまった」。
ダービーシリーズで、同期山崎芳仁との夢のタッグが実現もした。平原康多が脇本雄太に付けてから、選手間の呪縛が取れ、他地区の選手との連係も多くなった。佐藤慎太郎みたいに「家なき子」を自認している選手もいる。
「ザキ(山崎芳仁)との連係は、ファンが喜んでくれたみたいだね。結果はダメだったけど、ザキの気持ちが凄く伝わってきた。本当、オレ自身も楽しめるレースだった」。
ラインの絆が薄れている中で、武田の関東の支柱としての役割は大きい。
そして若手も武田の意見を素直に聞くべきだ。
「康多を手助けしたい!」。
印象的な言葉で締め括ってくれた。


京王閣競輪場(京王閣ダービー)より