眞杉匠 栃木 S級2班
敗戦を糧に
松浦悠士(広島)の初優勝で幕を閉じた、第75回「日本選手権競輪」(京王閣)。昨年の静岡大会が中止となったこともあり、ファンにとっても選手にとっても待ちわびた開催だった。今回、日本一の競輪選手の称号をかけて争う162人の中で、110期台の選手は12人。いずれ劣らぬ先行力自慢だが、ダービー初出場の113期・眞杉の快進撃は特に目を見張るものがあった。
直前の小倉で準Vと、手応えを得ての中4日。「間隔が詰まっている方がいいし、そのままの調子で来ることができた」と、初戦から積極的にレースを運ぶ。一次予選は強風を切り裂く打鐘前先行で2着、二次予選は小川真太郎(徳島)との叩き合いを制して押し切り勝ち。「初日はペースでいけたけど、二次予選は落ち着いていけなかった。バックからはタレていたし、何とか我慢して」。直前の小倉で、ギアを3.93(55×14)から3.92(51×13)に変更したのも躍進の要因となった。他の選手によると、倍数が小さくなることで軽くなると思われがちだが、小ギア(後輪のギア)が14枚から13枚になることで、初動の踏みごたえが増すのだという。眞杉はこの感触を重視して、ギアに合ったフレームを投入。それが大舞台でぴったりマッチした。
準決勝は平原康多(埼玉)―諸橋愛(新潟)を連れて打鐘先行、後続のもつれを誘って2着に逃げ粘り、GI初決勝の切符を手に入れた。「うれしいが、諸橋さんが落車したので…。メチャクチャ緊張した。主導権を取ることしか考えていなかった。ゴールしても、あれ? 自分は何着だろうって(笑い)」。名門・作新学院高から自転車競技を始めた眞杉は、チャレンジ脱出にはやや手こずったが、2019年11月にデビュー1年半でS級に特進。今年2月には高松記念で決勝に進出した。高松では二次予選、決勝で平原と連係。決勝は松浦悠士を連れた町田太我(広島)を突っ張って主導権を渡さず、先行選手として大いにアピールした。その高松のイメージがあったからこそ、今回の決勝では眞杉が先行、番手・平原の抜け出しを思い描いたファンも多かったのではなかろうか。
しかし、それは決勝で対戦したライバルの脳裏にもしたたかに刻まれていたようだ。郡司浩平(神奈川)は勝負どころで追い上げ、5番手で眞杉と並走して仕掛けるタイミングを消し、清水裕友(山口)も「向こうが来なければ…」と腹をくくって打鐘から逃げた。勝ちたい欲は強くなかったかもしれないが、これがS班との差なのか。「(郡司との並走で)引くかどうか迷ったが、いかんせん気持ちが弱すぎた。ライン3車だったし先行するつもりだったが、それもできず迷惑をかけた。今後はヨコもやっていかないと」と悔やむように、眞杉のGI初ファイナルは、結果的には苦い記憶になった。だが、本人も「勉強になりました」というように、この経験は必ず今後に生きる。5年後、いやもっと早くに、彼らの世代が輪界を背負っていく時期が来るのだから。
京王閣競輪場より