月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
直送!競輪場便り
河端朋之 岡山 S級1班
ケイリンから競輪へ

 これがナショナルの脚だ。約10年間、世界のアスリートと渡り合ってきたスプリント力を見せつけた。21年9月8日、防府FI決勝戦は打鐘2コーナーから踏み込み一気に主導権を奪うと他を寄せ付けずに押し切った。競輪では16年8月の川崎以来5年ぶりの優勝となった。周りからの祝福には、いつもの快活な笑顔をのぞかせたが心底から喜ぶには五輪に出られなかった悔しさが大きすぎた。
 ロンドン、リオ、そして東京と一途に出場を目指した五輪出場の道は20年3月世界選手権のケイリン準々決勝の敗退で断たれた。それでも21年7月の東京五輪開会式直前まで伊豆のナショナルチームと行動を共にして見送った。
 脇本雄太、新田祐大らの影に隠れていた男が、一躍スポットライトを浴びたのが18年の世界選手権ケイリン競技での銀メダルだった。指導したブノワナショナルチームヘッドコーチが「彼が代表チームの力を世界に押し上げてくれた」と絶賛。ナショナル引退を発表した時には「このチームの進化のきっかけを作り、多大な貢献をしてくれた」のコメントに「ずっと見守ってくれたコーチに感謝しかない」と涙した。
 東京五輪の脇本、新田の奮闘を心から応援した。ケイリンの脇本は準決で敗れ、金メダルのケニー(英国)、銀メダルのアワン(マレーシア)、銅メダルのラブレイセン(オランダ)とは世界の舞台で何度も対戦したライバルだった。「代表に選ばれて当然の2人だったし、アジアの舞台で勝ち負けを繰り返したアワンが銀メダルを取れたんだから世界は遠くなかった」と結果に少し吹っ切れた。
 大好きだった競技から離れ「職業としての競輪」とどう向き合うのか、故郷の岡山に戻り考える時間もできた。「ナショナルチームで続けてきた1回で全部を出し切るトレーニングは今後も継続していきます。その環境は岡山でもできます。ケイリンと競輪は別物だけど競技で培った力を出し切って脇本や新田も競輪でも結果を出している。GIどころか記念さえ勝ててない自分がいうのはおこがましいけど、競輪でもやれるという気持ちは捨ててないですよ」。世界の強豪と競い合ったスピードとダッシュ力を爆発させて競輪の舞台でも輝きを放つ。


防府競輪場より