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直送!競輪場便り
吉田悟 熊本 A級3班
運命的な師匠に
銀行マンから異例の転身を遂げ、デビューから約半年が過ぎた。10月中旬の武雄開催終了時点でまだ決勝進出はない。「自分は競輪の知識も経験も少ないしレースが下手。ただ馬鹿みたいに逃げているというか、逃がされているような感じ」と、経験不足を露呈している。師匠はGIを3度制し、五輪トラック競技にも2度出場している熊本のヒーロー中川誠一郎(85期)。「練習にもしっかり付き合ってくださる。レースもすべて見て、アドバイスしてもらっています」。師匠の教えの下、一歩一歩前に進むことを心がけている。
競輪との出会いは、大分の大学時代に行った別府競輪だった。一緒に行った友人は、大学野球部の同僚で橋本瑠偉(113期、佐賀)の兄。車券を買ったのは、その別府記念での中川のレース。超一流レーサーを金網越しに見つめたが、まさか後に師事することになるとは思いもしなかった。ただ、豪快に駆け抜ける中川のスピード感だけは忘れられず、憧れた。
「大学を卒業して熊本県内の信用金庫に3年勤めたが、何か違っていた。野球をやっていたし、体を動かして稼ぐために競輪選手を志した」。まずは橋本瑠偉を頼って武雄でバンク試走会に参加した。「走り終わって、瑠偉君の師匠の荒井崇博(82期)さんに会えました。そこで荒井さんに選手になりたいと伝えました」。吉田が熊本県在住なため、荒井はその場で合志正臣(81期、熊本)に電話。弟子にできるか相談しようとしたがつながらなかった。ならばと荒井は現在もたびたび特別戦線で連係している中川へ電話。「今度はつながって、弟子入りの話が進みました」。何とも運命的に師弟となった。それからは会社を辞めて中川の下で練習に励み、競輪学校試験を1回でパスして選手生活がスタートする。
中川は「荒井さんの頼みは断れませんよ。でも弟子として預かった以上は、その弟子の人生を左右する存在になったということ。今までは自分自身をどう育てていくかを考えていた。でも弟子を取って意識が変わりました。せっかくこの世界に入ったからには、吉田君が少しでもいい成績を残せるようにしてあげたい」と話す。吉田は「1着を取った時には会社員では味わえない爽快感があります。師匠の教えを少しでもものにして、いつかはもっと上のクラスで1着を取りたい」と意欲を口にした。台頭してきた熊本の同年代にももまれて鍛錬を続ければ、S級で憧れの師匠を引っ張る日がきっと訪れるはずだ。


武雄競輪場より