佐藤礼文 茨城 115期
恐れず前進あるのみ
かつて、障害競馬専門の騎手にレースの魅力ややりがいを聞いたことがある。そのうちの1人は「危ないことって、楽しいじゃないですか」と即答してくれた。スリルを楽しむような佐藤の走りもまた、競輪の面白さを体現している気がする。
駒沢大学時代はアメリカンフットボールに打ち込み、俊足のランニングバックとして鳴らした。2011年の関東学生秋季リーグでラッシングヤード1位に輝いた身体能力の持ち主。アメフトの経験が競輪に活かされているかを問われ「狭いところへ入っていくのは怖くない。でもそれ以外はないですよ」と笑った。ステップやターンも駆使してマークを振り切るのがアメフトだが、競輪選手・佐藤礼文もまっすぐタテに踏んでいくタイプではない。
プロスポーツ選手にあこがれ、日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)は4度目の受験で合格。浪人中は「競輪場でアルバイトをしたりして食いつないでいました」という苦労人。チャレンジ時代から活発にヨコへ動き、デビュー1年半で5度の失格を喫した。それがA級上位で戦った昨年は失格ゼロ。今期から待望のS級に上がってきた。とはいえ、S級戦でも攻めるスタイルは不変。「風を切ることはないが、前々へ踏んで位置を取ることにこだわっている。飛び付きとかは、タイミングが合えばって感じです」。粗削りだが、闘争本能のままに動くすがすがしさがある。
1月14日からの大宮記念は準決勝まで進み、2着3回と全国に名前を売った。持ち味を発揮したのは最終日。単騎で酒井雄多(福島)ラインに切り込んで抜け出し、志智俊夫(岐阜)と2着同着。その勢いで臨んだ1月28日からの高松「開設71周年記念・玉藻杯争覇戦」でも、位置取り勝負で活路を開く。初日・一次予選3Rでは、最終ホームでカマシを打った櫻井祐太郎(宮城)の番手を奪い、ゴール前で差し切り勝ち。S級初白星を挙げた。それでも「後ろが離れたからうまく番手に入れたけど、最初は北が主導権を取ると思って、その3番手と思っていた。実際は櫻井君がカマシになったし、2車で行かれて、その後ろだったら踏み遅れたかもしれない。絡まれる可能性もあった。勝ったけど、うれしくない。作戦は反省しないと」と不満を漏らした。
二次予選7Rは、北津留翼(福岡)らが相手だったが、最終ホーム過ぎに3番手へ追い上げたところで内から押し上げられ、落車棄権。3日目以降を欠場した。そのレースで佐藤の番手を回った同県の先輩・芦澤辰弘は「位置取りにこだわった結果だから。若いころの俺たち兄弟(兄・大輔)に似ている。ギラギラしているじゃない」と評価。前検日には「S班にいるだけでも出来過ぎです。思ったより走れている感じはあるが、そんなに甘くないでしょう。今は相手が全部格上だし、勝てば金星。当たって砕けろですね。ミスもあるけど、恐れずやっていく。技術よりも、脚力アップを目指していきたい」と語っていた。今は1レース、1レースが糧になる時。早期回復を期待しつつ、今後の戦いを見守りたい。
高松競輪場より