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直送!競輪場便り
西村光太 三重 S級2班
進化競輪
 「僕は追い込み選手なんですけどね。でも今の状況では仕方がないでしょう」。ちょっぴりぼやき気味なのは中部のS級選手・西村。自力選手の看板はすでに降ろしたのに、自分で動いて戦わなければならないケースが増えているからだ。
 現在、新型コロナ感染症拡大防止対策として行われているのが地区あっせん。選手の移動を少なくするための地区限定開催である。選手層が厚くない中部は地区あっせんでも遠征が多く、他地区へ行けばいつも少数派。前を任せられる若手先行型は1、2人しかおらず、その先行選手が予選で敗退してしまえば、準決からは自分の力で突破するしかないわけだ。「単騎戦で頑張ると自力の決まり手が付く。そして、その数字を見た番組の方は僕を自在選手の扱いにしてしまうんです」。感染症対策は選手の戦い方にも影響している。
 それでも西村は前向きだ。スピードがますます重視される競輪。その進化に付いていくには、ただ追走技術を磨くだけでは難しいという。「今の自力選手は100%の力を出し切るために自分のタイミングでしか仕掛けない。マークしていると脚を削られるんです。それに離れないようにするには、自分がいつでもタテに踏める感覚で追走しなければならない。タテ脚がないとやっていけないんです」。特定の戦法に固執せず、柔軟な考え方と戦い方が必要。つまり、単騎で戦うのは番手戦と大きな違いはなく、今の西村はうまく時代の流れに乗っていると言える。
 そんな西村の選手として生き方を確立させたのが、昨年のA級降級と58歳の今もS級に在籍する師匠・萩原操の存在である。「A級のレースを経験したことで、自分の得意な部分と苦手なところが鮮明になったんです。長所を生かす練習やレースを行って、反対に捨てるべきところは思い切って捨てました」と半年間のA級生活を無駄にはしなかった。そして、今は自立して練習しているものの、偉大な師匠の思想は受け継いでいる。「操さんはガールズとアマチュアの選手と練習することで、新しい情報を取り入れながらいろいろ少しずつ変えている。根っこの部分は大切にしていても、いち早く手を打っているんですよ。やはり、いつも考えて取り組むことは大切です」
 まだまだ続きそうなコロナ禍での競輪。そんな中でもしっかりと進化に対応し、結果も残している西村。師匠同様にS級で長く活躍する選手になっていきそうだ。


岐阜競輪場より