インタビュー

 月刊競輪WEB、最初の闘将列伝は太田真一選手です。デビューからわずか5ヶ月でS級へと特昇し、4年後には初タイトルを獲得するなど常にスター街道を驀進してきた太田選手。現在は選手会埼玉支部長を務める一方で、トップ返り咲きに向けて闘志を燃やしています。
─まずは、選手を目指したきっかけからお伺いしたいんですが、これはやはりお兄さん(耕二・引退)の影響でしょうか?
「そうですね。僕が高校入学する時には兄貴は選手として活躍していたので、自分も高校で自転車をやろうと思っていました。それで、そのまま自然な流れで競輪選手を目指していったという感じですね」
─その高校時代には数々の大会で優秀な成績を残すなど、早くから才能を開花させていましたよね。
「才能があったのかどうかは分からないですけど(笑)、高校生だったから練習時間にどうしても制限が出てくるんだけど、その中で一生懸命練習をしていたつもりなので、それがそういう成績に結びついていったのかなとは思いますけどね。あとは同級生の存在が大きかったかな。当時、伏見(俊昭)はあんまり目立ってなかったんだけど(笑)、十文字(貴信)は本当に強かったし、同じ関東地区だったので、お互いに切磋琢磨できた部分はありますよね」
─そんな伏見選手や十文字選手と共に75期として1995年にデビューされて、もう選手生活17年が経過したんですよね。
「防府記念では久々に伏見、十文字と同じ開催になって3人揃ったんだけど、昔話なんかもしたりしたし、お互いに立場も変わってきて、ちょっと複雑な感じはするかな。まあ、この3人の中で、現時点では俺が1番競走得点が低いので、かなり必死ですけど」
─この17年間を振り返ってみていかがですか?
「幸いなことにタイトルにも恵まれたし、ケガもいっぱいありましたけど、それが選手生命を脅かす様なものではなかったので良かったと思っています。色んなことがあったけど、楽しく今までやってこれているので、充実した競輪人生なんじゃないかなとは思いますけどね。何より、今もまだ選手でいられることが幸せですね。もちろん、自分の中ではこのまま落ちぶれていく気はないですし、もう1回這い上がってやろうという気持ちではいますから」
─この17年間の中で思い出に残っているレースはありますか?
「思い出に残ったレースはいっぱいあるんですけど、タイトルを獲ったレースはどれも嬉しかったですし、今でもしっかりと覚えていますよね」
─初タイトルは99年の高松宮記念杯競輪でした。
「あの頃はタイトルを獲れるだけの脚があるとは自分でも思っていなくて、本当に無我夢中で走って獲ることが出来たタイトルだったので、格別なものがありました」
─自分では獲れないと思っていなかった中で、獲ることが出来た要因は何だったんでしょうか?
「それはもう、練習しかないと思うんですよ。若い頃から自分のやり方を信じてやってきて、それは今も変わらないんですけど、それはすごく大事なことだと思うんです。今は大ギア化した競輪界の中で、練習方法が色々と確立されてきてはいると思うんですけど、基本的な部分ではしっかり練習をやるということが大事だと思うし、その辺りをこれからの若い選手にも伝えていけたらいいなとは思っているんだけどね」
─99年は宮杯を獲った後、KEIRINグランプリをも制しました。
「あの年は本当に勢いで走っていた部分はありますし、すごく精神的にも充実していて、とにかく前だけを向いて頑張っていた結果だと思います。そういう風に精神面が充実していたからこそ、いい流れも呼び込めたんじゃないかなとは思いますけどね」
─当時は徹底先行スタイルでしたが、やはり主導権には強いこだわりがあったんですか?
「そうですね。自分の脚質的にも逃げてどこまで粘れるかっていう感じだったので、先行することしか考えてなかったし、それが俺のポリシーでしたから。今はもう追い込みになってますけど、そういう先行に対するポリシーを持った後輩が出てきて欲しいなと思っているんですけどね…」
─太田イズムを引き継いでくれそうな候補選手は?
「いや、まだいないんじゃないですか(苦笑)。弟子たちも年数経ってくると、言うことを聞かなくなってくるし。多分、色んなところから入ってくる情報に踊らされているんだと思います。自分の『芯』がないというか。それをしっかり強く持っていれば、もっと強くなりそうな若手は埼玉にも沢山いるんですけどね。馬場(和広)とか山田(義彦)とかね。とくに山田は大きな病気(無筋力症)を克服して走っているので、アイツの力はあんなもんじゃないんですけど、自分の芯がないからこそ伸び悩んでいる部分があるのかなと思うので、そこを何とか乗り越えて欲しいですよね。他地区では脇本(雄太)なんかは先行に対して自分の芯を持っている感じがするし、すごくいい選手だなとは思うので、早くそういう選手が埼玉にも出てくる様になって欲しいかな」
─太田選手自身は追い込みに戦法チェンジされてから、なかなか結果に恵まれない日々が続いてしまっています…。
「まあ、特別競輪の決勝にも1回しか乗ってないですからね。それでも、練習だけはキッチリやってますし、段々と大ギアの踏み方にも慣れてきて、ある程度自分なりに掴めてきたかなという感触があるので、その辺りをもうちょっと煮詰めていければいいかなと。さっきも言いましたけど、まだまだ諦めていないですから! たとえ2班になってもS級である内はチャンスは必ず巡ってくると思うので、走る以上は勝利を目指して戦っていきたいと思っています」
─そんな中、太田選手は今年6月から選手会埼玉支部の支部長に就任されたんですよね。
「そうですね。就任した当初は色々とバタバタしていたので、時間のペースの掴み方が分かっていない部分があったんですけど、3ヶ月くらい経って、段々と自分の生活リズムが掴めてきたので、ようやく落ち着いてきたかなという感じですね」
─支部長・太田真一の活躍に期待しているファンの方も沢山いると思います。
「最近は『もうちょっと頑張れ』って応援してもらうことも増えて来ましたし、そうやって応援してもらえる内が華ですからね。限られた練習時間の中で効率よく練習して、少しでもお客さんの車券に貢献できる様に頑張っていきたいですね」
─同期の伏見選手がトップクラスで活躍してますし、まだまだ負けていられないですよね。
「伏見はまだ本当に強いんでね、何とかしたいなとは思ってはいるんですけどね(笑)。それに、十文字もまた特別競輪に出場する様になってきたし、俺ももうひと踏ん張りして、特別競輪や記念の決勝といった大きな舞台で再会したいですね。その為にも気持ちだけは負けない様に一生懸命頑張っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします」