インタビュー

今回の闘将列伝は新潟の阿部康雄選手です。競輪場内のイベント「素人脚自慢大会」に参加したことが選手を目指したきっかけになった、というエピソードはあまりに有名ですよね。今年で47歳になりましたが、今でもS級1班でバリバリ活躍し続けています。代名詞ともいえる切れ味鋭い追い込み脚に魅了されたファンも多いことでしょう。高配当メーカーとしても知られる阿部選手に、ここまでの輪跡を振り返っていただきました。
「ここまで山あり谷ありでしたが、あっという間でしたね」
―まずは選手を目指したきっかけから教えてください。
「親戚の方と弥彦競輪を見に行ったときに、ちょうど素人脚自慢みたいなイベントがありまして、選手になってみたい気持ちもあったので、どんなものなのか1回走ってみようと応募したら運よく参加できたんですよ。それでバンクを走ってみたら、すごく気持ちが良かったので、選手を目指して競輪学校を受けることに決めました」
―選手への憧れは以前からあったのですか?
「いえ、まったくでした。20~21歳くらいのときは、兄が結婚してから年に1回くらい親戚と競輪場に見に行っていました。自分はその運転手という感じで(笑)。当時はサラリーマンをやっていたのですが、競輪新聞を見ると、選手の獲得賞金が出ているじゃないですか。B級がまだあった頃でしたが、B級の方でも1000万以上を稼いでいて、当時の自分の年収は200~300万くらいだったので、なんだ、この世界は!と。そういう目で見てしまいまして(笑)、まだ年齢的にも競輪学校を受けられる年齢でしたし、1回くらいやってみる価値があるんじゃないかと思いました。体力的にも学生時代ずっと運動をやっていたので、どうにかなると思っていましたしね」
―そして68回生として競輪学校に入るわけですね。
「その前に、67回生の試験も受けているんですよ。自転車に乗って1カ月半で試しに受けてみたら、そのときはやっぱりダメ。68回生が年齢的に最後の試験でしたが、落ちたらまた働けば良いかなくらいの楽観的な気持ちでやっていましたね」
―1991年8月に西武園デビュー、そして今年で23年が経ちました。ここまでの選手生活を振り返ると?
「20年くらいまでは無我夢中でしたね。山あり谷ありで、一生懸命に練習をやったり、遊んだり、休んだりもしたり。その間に子どももできましたし、なんだかんだで、あっという間でしたね」
―その中でも(6月25日現在で通算1995走)、思い出に残っているレースはありますか?
「いろいろありますが、久留米記念(06年・開設57周年記念)ですかね。一番ビリの方から、最後の直線でコースが開いて、抜け出して優勝したレースでした。そういう良い部分もありますが、GIの決勝に乗ったのに、満足にゴールできなかったことが何回もあって(苦笑)、GIには力不足だったのかなとか、いろいろ思うところはありましたね」
思い出のレース(阿部康雄)の映像視聴は“こちら
―GIといえば、先日も高松宮記念杯に出場されていたように、GIの常連としてまだまだ活躍し続けています。
「やっぱりGIに出られると良いですよね。昨年は出られなかったんですけど、体の調子も良くなってきて、点数(競走得点)も上がってきて、またGIに出られるようになってきました。GIは普段の開催と違って独特の雰囲気がありますし、そういったものをもっと味わいたいし、緊張感あふれるところで、もっと走りたいと思っています。やっぱりGIはクセになりますね(笑)」
―長く活躍するための秘訣は?
「自分なりに合った練習方法を見つけることだと思いますね。人それぞれ、体のつくりから骨格から違うじゃないですか。その中で、ある程度の練習方法を見つければ対応できるという感じでやっています。選手になってみたら分かることですが、そこは永遠の悩みといいますか、永遠に追求するところなんですよね。答えはたぶん出ないものだとは思うので、そこに近づければいいなと思ってやっています。そこを諦めたら、(落ちていくのが)早いと思うので、腐らないように、自分をだましながらやっています」
―そうした研究をし続けるあたり、性格的にも辛抱強いのですか?
「どうしたら自分の良いときの走りができるのか。練習でこうやればこうなる、あれをやったらダメだったと、いろいろと工夫するのが面白いし、好きなんですよ。自転車のセッティングとか、着るもの、シューズはそこまで興味が無いんですけど(笑)、練習に関してはそういう面白さがありますね。本を見たり、テレビで見たり、良さそうだと思ったら取り入れて、自分で人体実験やっている感じです(笑)」

「100円でも大丈夫なので、買い続けてください!」
―阿部選手といえば、強烈な差し脚が代名詞となっていますよね。
「うーん、もうだいぶ錆びてきてしまいましたけどね(苦笑)。若いときは本当に余裕があって、どこかコースを見つけていけたんですが、最近では、コースを見つけて『あ、いける!』と思っても脚が回らないときの方が多いんですよ。ギアの影響もあるとは思いますが、最終的には脚がどうしても落ちてきているのでしょうね。練習して、もっと(本来の差し脚を)出したいとは思っていますが、出ないのが現状です。どうやったら今出るのか、教えてほしいくらいです。やることはやっているんですけどね。結局、練習と休養しかないと思うので、そのあたりを腐らずにやり続けるしかないです」
―今定めている目標はありますか?
「今年は出ることができましたが、これからも日本選手権に出ることですね。でも、ちょっと今は半年が終わって黄色信号なんです。もっと調子を上げないと難しい感じになってきているので、どうやったら調子を上げられるか。7月から期も変わるので、どうやったら期の一発目からスタートダッシュを決められるか。そこが課題ですね」
―また地元の弥彦は、今では毎年GIが開催されています。地元GIを走る阿部選手の姿を心待ちにしているファンも多いと思います。
「そうなんですよね。寬仁親王牌も今年で4回目なんですが、GIをやると最初に決まったときから出たいと思っているのに、関東地区は強い選手が多いので、なかなか勝ち上がれなくて…。歯がゆいですが、そこは実力の世界ですから。弥彦の村長からもハッパをかけられて頑張ってはいるんですけど、こればかりは思い通りにいっていないですね。ほかのGIだったら、(選考に)ちょっと引っかかる場合もあるんですけど、難しいですね。でも、そこを諦めてしまうとほかのところにも響いてくると思うし、諦めてはいないですが、なかなか出られないですね」
―最後に、読者にメッセージをお願いします。
「これからも虎視眈々と、穴をあけられるようにコツコツ練習していきますので、100円でも大丈夫なので買い続けてください」
―たしかに阿部選手に高配当を期待しているファンの方も多いですよね。
「そうですね。いつか出したいんですけど、今はなかなか出せていないです(苦笑)。何倍返しになるかどうかは分からないですが、宝くじだと思って買ってもらえればと思います」