競輪学校物語

菅田賀子は、父に「コンコルド」と呼ばれた名選手・菅田順和(36期・元選手)、兄に和宏(88期)、叔父に彰人(47期)、いとこに壱道(91期)を持つ、競輪一家に生まれた。自転車経験のなかった彼女が、東日本大震災をきっかけに、ガールズケイリンを目指した。彼女がこれからどんな選手になるのか楽しみだ。
お客さんに喜んでいただけるような走りをしたいと思います!
-競輪学校に入ろうと思ったきっかけは?
「父(菅田順和・元選手)と兄(和宏・88期)が競輪選手なので、身近に競輪があったというのが大きいと思います。2011年の震災の時に、地元宮城で、私も震災の被害にあって、仕事が10日くらい自宅待機になり、自分の将来を考えた時に、ガールズケイリンのことを知って、やってみたいなと思い、入学を決めました」
-選手になることには、お父さんとお兄さんに何と言われましたか?
「父には絶対に反対されることはわかっていたので、新潟にアパートを借りて、全てもう固めてから、言いました。でも、やはり、落車とか痛い想いをさせたくないってことで反対はされたんですけど、もう決まっているからというか、ちょっとゴリ押しでした。今は応援してくれています」
-行動力ありますね。
「そのくらいしないと通らなかっただろうなと思ったので。入学の願書に判子をもらう時に打ち明けました。でも、かなり迷惑をかけたと思いますね」
-立派に走ることが恩返しですね。
「はい、親孝行できるように頑張りたいと思います」
-学校生活はどうですか?
「自分は自転車の経験がなかったので、新潟のクラブに入り、コーチにマンツーマンで見てもらい、なんとか合格しました。でも、経験が浅いまま学校に入ってしまった形になるので、ちょっと皆についていくのがやっとな感じで大変です」
-競走訓練は?
「全然、脚力はないんですけど、前の方に絡めるようにと思っています」
-記録会の結果を見ると、地脚タイプ?
「自分でもよく分からないんですけど、ダッシュよりは維持の方が、まだ、いいのかなと思います」
-自転車経験がないと、集団で走るのは大変だったのでは?
「そうですね、でも、訓練で並走周回とか、並んで走ったりとかして、怖いなっていうのは、少しはありますけど、動けないというのはないです」
-課題は?
「全てですね。経験が浅いので、筋力もないですし、脚力もないので、全体的な底上げを頑張っていきたいと思います」
-選手登録はどこですか?
「新潟になります。お世話になったので、少しでも恩返しができるように頑張りたいと思います」
-新潟の先輩たちもすごい人が多いですからね。
「はい、先輩方がビッグなのでついていけるように頑張りたいと思います」
-学校での目標は?
「卒業記念レースで1勝したいですね。競走訓練もだいぶ重ねてきているんですけど、まだ1勝もしていないので、競走訓練も頑張り、いい成績を残せるようにしたいです」
-デビューしてからの目標は?
「お客さんに喜んでいただけるような、応援していただけるような走りをしたいと思います。デビューまで、もう日がないのですが、無事に卒業できて、デビューしたら、少しでもお客様に貢献できる選手になれるように一戦、一戦頑張っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします」