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時代をまたぐ友定祐己の両刀

 捲りの友定ー。全盛時の彼を知る競輪ファンに、友定祐己(岡山82期)という選手の印象を尋ねれば、過半はそう答えるのではなかろうか。もちろん異論なきだが、ここでは、時代をまたぎながら結構した彼の、「異彩の両刀」をフィーチャーしたい。
 平成十六年一月二十五日、小倉GI競輪祭の決勝舞台ー。単騎の闘いとなった友定が選んだ戦法は、驚きのカマシ逃げであった。番組は佐々木則幸(高知79期)の先行一車に近い構成で、四国筋の小川圭二(徳島68期)のマークは当然として、小橋正義(新潟59期)も小野俊之(大分77期)も、明言せずとも佐々木ジカの匂いを醸し出していた。昨今の競輪は"競るかもしれない"の期待だけで本番が競りとなる可能性は低いが、当時の競輪は"ここは競りだろう"と客が考える競輪の大概は競った。そんなおもいこみが残る。実際、当日の三人は佐々木マークをめぐり内外激しくせめぎあった。ガチンガチンやっている三人を尻目に佐々木は発進を遅らせ、観客の誰もが、佐々木のペース逃げ・初戴冠の可能性を認めつつあった残り一周附近、ドカ~ンと友定の奇襲だった。急激にピッチは上がり、不意に空いた車間を必死に詰める佐々木、ほどけた番手位置には小橋が居たー。
 優勝したのは佐々木を寸前で捉えた小橋。飲みこまれた友定は力尽き末着だった。佐々木は「追いつく分」の消耗が悔やまれ、最内の競り態勢だった小橋にとってはあのドカン!が幸いしたーと括るのは単純に過ぎるか。
 友定の単騎カマシがなければ佐々木の優勝だったーと想い起こすファンも少なくないことだろう。が、しかし。競輪にも人生にも「もし」はないー。
 時代は令和に移った五月の二十四日、久留米FI決勝の友定は勇猛なマーク屋となった。トルーマン(英国)がグレーツァー(豪州)を差す二車単が190円という一本被りのレースは、竹内翼(広島109期)の打鐘先行から動き出した。番手は友定である。(こりゃハコ捲りを打っても無理だろうなァ)冷めた眼で見ていたが、何とー! ドンと一度、そしてもう一回。二発のブロックであのグレーツァーを止めてしまったのだ。竹内-友定の「逃げ・マーク」は二車単で28,230円の高配当だった。
 どんな競輪にも毀誉褒貶はつきものであり、只の二つの競輪をして友定の両刀などと論じるなかれ。そんな声を覚悟して申すが、二景をライヴで観られたことは(たとえテレビ観戦だったとしても)幸運であり、やっぱり競輪はオモシロイワと唸る次第だ。
 貴君は全盛のエイゴ(高原永伍・神奈川13期)を見たるや? 貴君は十二車立ての後楽園競輪を見たるや? 酒場の競輪談義での諸先輩方の殺し文句が懐かしい。
 貴君は友定祐己の何を見たるやー。