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師匠と弟子に"太陽"が一番近づいた一年
競輪特有の"徒弟制"は過去から現在まで様々な物語を紡いでいる。今回は、師匠と弟子、金子貴志と深谷知広の二人に訪れ来た、至福の一年をフィーチャーしたい。
金子貴志(愛知75期)は1995年4月にデビュー。当時の日本代表(スプリント種目のトップランカーだった)を務めながら、本業の競輪でも順風満帆の出世街道を歩む。2004年の佐世保ふるさとダービーでビッグ初優勝、十年目の節目にあたる2005年には寬仁親王牌決勝5着、ふるさとダービー同4着、オールスターは惜敗の準優勝、共同通信社杯は無念の決勝失格に終わるが、つづく全日本選抜の決勝で4着とまさに充実一途、誰もが眼前のタイトルを疑わなかった。……………だが、勝利の女神は気まぐれである。…………翌06年2月の西日本王座戦の決勝9着を最後に、約7年もの間、決勝にすら乗れずという低迷を金子は味わうのだ。
深谷知広(愛知96期)のデビューは2009年7月、輝けるアマチュア歴(師匠とおなじスプリント種目や1kmタイム・トライアルで活躍)を引っ提げての初陣は競輪界の話題を独占した。無敗の18連勝で易々とS級まで昇格、更に連勝を「20」まで伸ばした。翌年はルーキー・チャンピオン、ヤング・グランプリと難なく"通過"、翌々年の11年6月には第62回高松宮記念杯(前橋競輪場)を優勝、デビュー3年目にして早くもG1覇者(史上最速記録だ)まで昇りつめた。翌12年は東西王座戦を完全優勝、日本選手権決勝5着、高松宮記念杯同5着、寬仁親王牌同4着の堂々たる活躍、まさに深谷時代の到来であった。
そして時は2013年、金子と深谷に"太陽"が一番近づく一年が幕を開ける。
年初から深谷は絶好調だった。2月松山全日本選抜、3月立川日本選手権、4月福井共同通信社杯をすべて準優勝、惜敗つづきではあるが、勝ち上がり段階では「9戦8勝」と圧倒的なパフォーマンスを披露した。一方の金子はどうだったかと云うと、真逆の数字で、2月3月4月の特別競輪は敗者戦の2勝留まりと寂しかった。
6月の高松宮記念杯はともに決勝進出叶わずの結果であったが、金子は一二次予選を連勝と気をはいた。11秒3の逃げ切り&10秒8の捲りに――「(見事な筋骨隆々の体躯ゆえ)サイボーグと謳われた全盛時の金子みたいだ!」――驚き賛辞したのは筆者ばかりではあるまい。
月がかわり7月14日、弥彦寬仁親王牌3日目。準決を深谷-金子が逃げ切り・マークでクリアした時点で、もちろん当人達が一番だろうが、たくさんの金子ファンにも期するものが漲ったことだろう。しかし、なんと……翌15日の決勝は、飯嶋則之(栃木81期)の「ジカ分断」の策に遭う。宮杯から好調維持の金子には千載一遇の舞台だというのに、競られてしまう……。金子の「不運」を嘆いた筆者だが、それは余計な同情だったようだ。2人は、2人の最大の武器である、スプリント力一本で、難所に立ち向かった。阿吽の呼吸でドンと仕掛け、敵を置き去った。タイヤ差先着の金子が悲願のタイトルホルダー、しかも生粋マーカーとの競りを凌ぎ、愛弟子とのワンツーという、最高の結果と相なった。
「壁」を突破した師弟コンビにとって、以降の年後半は怖いものなし?だった。
おなじ7月(歓喜の寬仁親王牌優勝から僅か中3日だ)、凱旋レースとなった地元の豊橋記念を完璧なワンツー(金子優勝・深谷2着)で飾り、9月の京王閣オールスターは金子だけが優出と「駒揃わず」も、10月の函館記念は又もや金子優勝で師弟ワンツーだ。翌月の小倉競輪祭、一気のカマシ逃げを打った深谷をハコ絶好の金子がズブリ差し、本年2回目の特別競輪師弟ワンツーと、もう誰もこの二人を止められない!
そして迎えた年末の立川グランプリ。ここも深谷は逃げた。やっぱり逃げた。ガンガン逃げた!弟子が拓いた絶好のVロードを通った金子の戴冠だった。深谷は粘れず6着まで沈んだが、それでも、この年の獲得賞金ランキングは「第1位・金子貴志」「第2位・深谷知広」の師弟ワンツーが確定した。
どの時代に於いても、大レースの覇を競いあう超一流レーサー、所謂競輪選手のヒエラルキー最上層の「住人」の数は限られ、その座をめぐる闘いは「力・勢・運」の熾烈な総力戦であり、機を逸し終ぞ昇れずという選手を幾人も見て来た。私見だが、2013年当時、金子にはそれに近い評価が妥当だったとおもう。
…………しかし………。
弟子の深谷が全部ひっくり返した。力・勢・運を確とたぐり寄せてくれた。競輪という競技に「義侠」はつきものであるが、あれほどの「男気」を筆者はあとにも先にも知らない。
あの黄金の年から7年、今や深谷知広は師匠とおなじくスプリント種目の日本代表トップランカーに成長、世界を股にかけた活躍は説明の必要もなかろう。一方の金子貴志もずっと競輪界のトップレーサーでありつづけ、一級品のシャープさも変わらない。"人気本線の二車できれいに出っきりワンツー態勢濃厚。ハコの金子貴志が前との車間をけっこうな長さ切る。そんなに空けて大丈夫か?もう踏まなきゃ!が、心配は無用。計ったように、チョンと捉えている"――何度見ても感心してしまう金子ならではの「寸差し」は、弟子の深谷の、踏み出しも掛かりも半端じゃない、あの深谷のハコで培われた。は、筆者の得意げな持論である。