月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
最悪の難関を乗り切ろう
今回は出版社へ原稿を提出するのが遅れ、同時に私のささやかな「競輪の歴史」を見守って下さる方々にも迷惑をお掛けしたことをお詫びしたい。
最初は1983(昭和58)年9月にデビューした愛知県の松井英幸(52期生=下段の3の写真)を取り上げ、彼の珍しい戦歴を記載しながら「これも競輪の面白さです」といって紹介しようと思っていた。
ところが、今年は大変な年になり、そのことから話を進めなければならなくなった。改めて説明するまでもないが、早春の2月3日、横浜港に入港した「ダイヤモンド・プリンセス」という巨大な船の乗客の中から「新型コロナウイルス」という病人(新型の肺炎)が出、毎日のように恐ろしい話がテレビや新聞などで報じられた。
「コロナ」は瞬時に全国に広がり、2月23日に60歳になられた天皇誕生日の一般参賀が見送られたとか、旅行客の激減、企業の経営悪化、スポーツ競技の中止や「無観客」のプロ野球オープン戦、大学の入試問題、株価の暴落、小中高校の休学、競輪・競馬などいろんな面で前代未聞の出来事になった。
私は2009(平成21)年5月、近畿の高校生が国内初の「新型インフルエンザ」を発症。これに対して近隣の府県は拡散の防止に全力を尽くし、その後、プロ野球・阪神タイガースの南信男球団社長が「ファンの皆さんが楽しんでおられるジエット風船の使用を禁止しているが、今年は5月20日からの再開予定を延期する」と話された記事を見た記憶もある。
それはともかく、競輪では2月27日に初日を迎えた奈良記念をはじめ全国の競輪場は「無観客」になり、専用場外、場間場外車券場はともに車券の発売は中止。従って車券を買うには電話かインターネットを利用するのみという状態になった。
さらに3月1日には大相撲春場所も「無観客」で開催すると決まり、同じ日、私の住む兵庫県西宮市にも40代の男性が「県内初の新型コロナ」に感染したことが分かるなど、日ごとに暗いニュースが増幅しているが、世界中の人がこの病気を1日も早く撲滅するために努力されていることに感謝したい。
こうした状況が連日のように報じられ、用意していた松井英幸の話が遅れたが、3枚の写真は彼の姿で左端は日本競輪学校(当時の名称)の卒業式の日、スタンドで見守る親族や先輩らにバンクを走行しながらあいさつをしている場面だ。これは、卒業式の儀式でもあるが、この写真には撮影直後、後日の参考のため「松井」をはじめ全選手の氏名を顔の横に付けておいた。
何と馬鹿げたことをと思われるだろうが、この時点では選手の名前は全く分からない。そのため、撮影したフイルムをキャビネ(印画紙)に焼き付けて保存。彼らがデビューしてから同期生に名前を聞いて写真の横に書いておく。競輪のことは何も知らぬまま競輪担当に配属された私はこうして選手の顔と名前を覚え、同時に成績などを記録しながら過ごしたものだった。
話は横道にそれたが、松井は1983(昭和58)年9月に門司(63③着)でデビュー。その後、毎回のように決勝戦に進出し、翌84(昭和59)年1月にA級へ昇格。初戦の岸和田競輪を11①で制覇した。そればかりか、同年8月には33①、さらに1190(平成2)年11月には43①で記念初制覇(中央の写真)するなど、松井がもっとも活躍したのが岸和田だったと思う。
中野浩一、井上茂徳、滝澤正光、神山雄一郎らは同一競輪場で何回も優勝しているが、スマホに掲載されていた彼の写真(右端)を見ながら話を聞くと、「岸和田には自分の力を発揮できると信じた直線コースや傾斜した走路があり、そこをうまく通過した時、良い結果が出た」と思い出を語ってくれた。
この話で頭に浮かんだのが、大津びわこの「高松宮記念杯・東西対抗戦」(当時の名称)で、1974(昭和49)年と76(昭和51)年に優勝した京都の荒木実(23期生)だった。現役を離れた荒木は今も評論家として京都向日町競輪場などで熱弁をふるいファンの皆さんに喜ばれているが、彼も高松宮記念杯を制した後、2回とも松井と同じような表現で勝利の喜びを話してくれた。当時の成績や写真などは改めて紹介する機会もあるだろう。
それはさておき、今回は「新型コロナウイルス」の発祥で想像もしなかった事態に陥り、競輪関係の話題が少なく、予定していた写真を掲載することが出来なかった。そのお詫びという訳ではないが、次回はびわこ競輪場の特別室に掲額されていた高松宮殿下と妃殿下の写真のことを「当時の宮務官」が記事にしても良いと言って下さったので書き残すつもりだ。
そして、もう一つは、デビュー以来35連勝した青森の坂本勉(57期生)が、後日、奈良記念を制覇した日に長男(94期生の坂本貴史)の誕生を聞き、何年もたって父親の勉が平競輪場で引退した日、長男の貴史が京都向日町で「松本勝明賞」を制覇した話などをお伝えしたいと思う。
筆者の略歴 井上和巳 昭和10年(1935)年7月生まれ 大阪市出身 同32(1957)年 デイリースポーツに速記者として入社 同40(1965)年から競輪を担当 以後、定年後も含めて45年間、競輪の記事を執筆 その間、旧中国自転車競技会30年史、旧近畿自転車競技会45年史、JKA発行の「月刊競輪」には井川知久などのペンネームで書き、平成14(2002)年、西宮・甲子園競輪の撤退時には住民監査請求をした。