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改築の岸和田で高松宮杯開催
令和元年6月の開催後、2年間に及ぶ改築工事に取り掛かっていた岸和田競輪場が美しくよみがえり、去る6月17日から「第72回高松宮記念杯競輪」を開催。4日目の最終日、埼玉の宿口陽一(91期生)の優勝で幕を閉じた。
宿口のビッグタイトルは初めてだが、埼玉県の選手が高松宮記念杯を制覇したのは昭和27(1952)年の第3回大会で19歳の高倉登が最初。続いて平成11(1999)年の太田真一、同22,23(2010、11)年に連続制覇した平原康多に次いで宿口が4人目の快挙を成し遂げた。
しかも、上りタイムは10秒9(今大会の最高は10秒8)。選手たちの話によると、走路が緑色から青色になったことで非常に走りやすくなったとのことだった。そればかりか。最近は選手の体格が良くなり、それに伴って自転車の選択も変わり、スピード感も増して以前よりかなり白熱化したレースになった。
それにしても、今回の高松宮記念杯は施行者の岸和田市や出場選手はもとより、全国のファンや場外車券場なども大変な気遣いをされたことだろう。なぜなら、高松宮記念杯の期間中、開催地の岸和田競輪は、初日、2日目の木曜日と金曜日は場内にファンは入れたが、3日目の土曜日と最終日の日曜日は「無観客」で実施というスケジュールで行われたことだ。
こんなことは岸和田だけに限らず、他の競輪場では開催そのものを中止する所もあった。それを思えば高松宮記念杯は順調に進み評判も良かったと思うが、レースが終わった翌日の6月21日、「新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言」が解除され、飲酒関係や商店街などの再開で少しは心が休まる感じがした。
だが、安心するのはまだ早い。というのはこの夏、日本で開催する「東京オリンピック」のことだ。各種の報道によると、6月22日、各会場の観客の上限は1万人とし、コロナが再浮上すると無観客にする可能性もあるという。そればかりか、翌23日にはオリンピック会場での酒類の販売は見送ると報じ、同24日の新聞には「前日の東京の患者は435人。だが、今日は619人に増えた」という記事が載った。これには競輪も大いに注意しなければならないだろう。
心配すればきりはないが、最近、コロナの影響もあってか、競輪では6車立てや7車立てのレースが増え、インターネットで車券を買ってレースを楽しむ人が増えた。その原因はネットに書かれている内容が詳細で車券が買いやすく、的中率が高くなったといって楽しい思いをするファンが続出しつつあるそうだ。
一例をあげると、9車立ての場合、3連単の車券を全部買えば504枚になり、7車立てなら210枚、6車立てなら120枚になるという。もちろん、504枚のうち的中するのは1枚だけなので高額配当になり喜びと興奮の度合いは非常に高くなる。一方、7車立て、6車立てなどは配当金が低くても車券の的中率の高さでレースを楽しむという点で大きな効果はあるだろう。
それに加えて競走得点や選手の並び(周回順序)を参考にして車券を買う方法が分かりやすくなっている。競走得点はS級上位の選手が戦う特別競輪から、下位クラスの一般戦まで総て選手の着順に対して点数が付く。従って出走表を見ただけで強弱が予想できるし、競輪を知らない人でも車券の買い方が分かる。
その一例が7車立ての「ミッドナイトレース」だ。このレースは1番から7番選手まで競走得点の高い者から順番に並べられている。だからといって高得点の選手が勝つというのではないが、分かりやすい競輪の一例といえるのでは―。
さて、このあたりで別の話題に移るが、最近のスポーツ新聞に掲載される「競輪の記事」が極端に減ったのが気になる。どの新聞もプロ野球を主軸に取り上げているのは野球の人気が高いから。これは常識として、ギャンブル面も競馬の開催日は大きな紙面となり、競艇もどんどん大きなスペースになっている。それに対して競輪の記事があまりにも少ないのが残念でならない。
極端な例を挙げると、高松宮記念杯終了直後の6月22日、あるスポーツ紙には競艇の記事が5ページ。一方、競輪は1ページの半分のみ。しかも、3競輪場で開催中の競輪の記事には5R~12Rに出場する選手の記載が2カ所。もう一つは6R~11Rまでで、前半の出場選手は総て切り捨てられている。いつごろから競輪面が縮小したのか分からないが、今では「パソコン」を開けば競輪のことは非常に詳しく、何人ものファンから「これで十分楽しめます」という声を聞く。
確かにパソコンの記事は詳しい。著名な専門紙が保有する膨大な資料を存分に生かし、あらゆることが克明に記されている。その上、総てのレースが画面で放映され、全国的に車券の売上額も上昇しているという。
これは結構なことだが、私はもう少し競輪の記事を新聞紙上に増やしてもらうことを熱望する。例えば、紙面に選手の生い立ちなどが載ると、学校時代の友人知人や近隣の住民にも必ず名前を覚えてもらえる。それを十分に理解した上、選手の将来の目標などを紹介すれば競輪の面白さは復活するだろう。
最後にもう一つ。それは引退する選手や、退職後に死去した選手の訃報記事なども新聞に載せてもらうことができないものか。ファンはそうしたことも要望しながら競輪の発展を願っていることを忘れないでいただきたい。
筆者の略歴 井上和巳 昭和10年(1935)年7月生まれ 大阪市出身 同32(1957)年 デイリースポーツに速記者として入社 同40(1965)年から競輪を担当 以後、定年後も含めて45年間、競輪の記事を執筆 その間、旧中国自転車競技会30年史、旧近畿自転車競技会45年史、JKA発行の「月刊競輪」には井川知久などのペンネームで書き、平成14(2002)年、西宮・甲子園競輪の撤退時には住民監査請求をした。