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神山選手らの過去を称賛
朝、目が覚めると郵便受けからスポーツ新聞を取り出して競輪のページを開く。平成3(1991)年に定年退職して記者生活を終え、その後は近畿自転車競技会の会報などを書きながら各地へ歴史的な資料を探しに行った。だが、最近はコロナで動けず、新聞の出走表を見るだけになっている。
そんな暮らしをしている時、63歳の高齢で頑張る45期生の三ツ井勉選手(神奈川)の名が紙面に載っていないことに気づいた。そこで知人を通じて話を聞かせてもらうと彼は今年の1月に64歳で引退。現在は自転車関係の仕事をしながらお弟子さんを育てているとか。
45期生は昭和55(1980)年にデビュー。大阪の伊藤浩、京都の山森雅晶、長野の藤本達也、兵庫の斎藤哲也、香川の馬場圭一という順で10連勝してA級に特進していったが、三ツ井は特進することは出来なかった。しかし彼の凄さは「70歳まで頑張る」という素晴らしい執念だった。
残念ながら、その願いは達成しなかったが、三ツ井らがデビューしたころは今のような「長寿時代」でないだけに良く頑張ったといえよう。
参考までに古い記録を探すと、群馬の湯浅昭一が68歳まで戦い、静岡の萩原三郎、長野の金子唯夫(後日、神奈川に移籍)、埼玉の小金井光良といった選手たちが66歳まで現役で頑張ったようだ。
では、三ツ井の後はどうなのかと思い、2021年11月に発行されたJKAの「登録選手名簿」を見ると、S級1班で50歳以上は栃木の神山雄一郎(53歳)、徳島の室井健一(51歳)、秋田の内藤宜彦(50歳)の3人。
2班では三重の萩原操(58歳)、熊本の西川親幸(56歳)、大阪の中澤央治(54歳)、福岡の紫原政文(53歳)、石川の小嶋敬二(52歳)、岡山の三宅伸(同)、神奈川の高木隆弘(同)、愛知の島野浩司(同)ら22人が名を連ねている。いずれも知名度の高い選手たちだ。
残念ながら全員を紹介し写真を掲載するのは無理なので、代表として神山の写真を2枚も掲載したが、彼は昭和63(1988)年5月に花月園でデビュー。同年9月にA級選手になり、翌年(平成元年)4月にS級に昇格。同年5月、別府で記念競輪を初制覇した。S級戦3走目のことだった。
それを祝ってレース終了後、自宅の電話番号を聞いて電話した。すると母親が出て下さり、嬉しさのあまり泣き出すような声で「ありがとう。びっくりしましたが、雄一郎は2番の黒い自転車に乗っていましたの?」と言い、「あの子は黒色が好きなのでお聞きしたのですが、ファンの皆様にもよろしくお伝えください」と言われたのを今でもはっきり覚えている。
その後、神山は急上昇して中野浩一、井上茂徳、滝沢正光らと肩を並べる大スターになっていった。こうした話はいくつかあるが、私に大きな影響を与えてくれた西川親幸選手のことも少し紹介させていただこう。というのは、各地の競輪場で彼と会うたびに「何か書いてよ」と言ってくれたことだ。
当時、私は新聞に◎、〇、×印をつけて勝敗の予想をするのが精いっぱいで、選手の日常生活などは気にならかった。ところが、いつの間にか西川の話に耳を傾け「選手物語り」を書くことが出来るようになり、今度(20年ぶりかも)、彼に会ったら心から礼を言いたいと思っている。
それはともかく、この2年間、競輪は「コロナ」のため無観客で開催したり中止になることも多かった。例えば、今年の1月19日、前橋で6レース以降は中止。続いて別府、川崎、久留米、岐阜、岸和田、和歌山など多くの競輪場が大変な目に遭い、ファンもがっかりしたようだ。
そうしたコロナの苦悩も3月21日にやっと開放されたが、その間、たった一つ、嬉しい噂が耳に入った。それは、3月初旬に高知で行われた「土佐GIIIレース」で施行者の40億円という売上目標が53億円を超えたとか。
これは知人に聞いた話で、もし、本当なら再出発する競輪界にとっては大きな励みになることは間違いない。私もそれをじっくり見つめるつもりだ。

筆者の略歴 井上和巳 昭和10年(1935)年7月生まれ 大阪市出身 同32(1957)年 デイリースポーツに速記者として入社 同40(1965)年から競輪を担当 以後、定年後も含めて45年間、競輪の記事を執筆 その間、旧中国自転車競技会30年史、旧近畿自転車競技会45年史、JKA発行の「月刊競輪」には井川知久などのペンネームで書き、平成14(2002)年、西宮・甲子園競輪の撤退時には住民監査請求をした。