デュッセルドルフ通信 2007年1月25日
新生ジャパン始動。
ワールドカップ第3戦ロスアンゼルス大会
 
LAと言ったら、こんな感じでないと
LAと言ったら、こんな感じでないと
 アロハ~!(ちょっと違うかな?映画「フラガール」ヒット記念ということでご勘弁)2007年に入りました。06-07シーズン、第3戦はロスアンゼルス。LAですよ!抜けるような青空に陽気なアメリカ人、降り注ぐ太陽の光!イェーイ・・・・でも、なんか様子が違うぞ。周りが白い!どこを見ても白銀の世界。雪ぃぃ?「た、隊長、恐れながら申しあげまーす!遭難でありまーす!!」そう。私はコロラド州、デンバー空港にいました。実は、デュッセルドルフ発フランクフルト行きの便が天候のせいで大幅に遅れ、着いたころには乗り継ぐはずだったロスアンゼルス行きはとっくに飛び立っていたという悲劇(なんだ、出だしですでにコケてたんじゃん)。かわりになんとか乗れたのはデンバー行きだったというわけです。

 デンバーに着いたら、今度はアメリカが各地で悪天候。ダラスなどは大変なことになっているらしく電光掲示板は「Canceled(欠航)」表示の嵐。しかし運良くLA行きは飛ぶ雰囲気です。でも、行きたいところに行けなくて「オーマイガー!!」とアタマを抱え込むおじさんやら、赤ちゃんを抱いてオロオロするご婦人やら、行き先をなくした人がひしめいて乗り継ぎカウンターも大混雑。乗り継ぎ時間が3時間もあったので「どこかで昼寝でもするべ」なんて思っていたのに、行列に並んでいたらもうギリギリ。その日はあきらめてデンバーに泊まる人も多かったみたいで、ホテルも混んでたでしょうから、もしLA行きに乗れなかったら、機内食用のプラスチックのナイフとフォーク(なんかに使えそうな気がしてパクッて来た←セコっ!)を持って大雪原でお腹を空かせたコヨーテと戦うことになっていたかも知れません。あー、命拾い!でもダイレクト便なら昼前にロスアンゼルスに着くはずだったのに、着いたの夜の8時ですよ、移動だけでほぼ24時間。

シャチョーサン車。セダンのクセに大きいから自転車だって中に積めちゃいます
シャチョーサン車。セダンのクセに大きいから自転車だって中に積めちゃいます
 目の下にクマを作りながら、いつものようにレンタカー会社へ。しかしそこで大ラッキー!「今なら料金アップナシで上のグレードの車にしてあげるけど、どうする?」「まじでー?乗る!乗る!」「OK。じゃ、これキーね」停まっていた車は・・・じゃーん!リンカーン・タウンカーです!「うひょー!こんな“シャチョーサン”が乗るような車、一生乗る機会ないぞ。イイネイイネ!ベンチシートだよー、エッチだなーもう!(なにを妄想しているんだ?)」

 ちなみに、僕のこの手の車に対するイメージは「ラッパーが犬の鎖みたいな太い金のネックレスをして、ベースボールキャップを後ろ斜めにかぶって運転してて、その車にはビヨンセみたいなオネェチャンがすし詰めに乗ってる」って感じなんですけど、あってます?MTVの見すぎ?「YO! ワラップ、メーン!」とか、一応言ってみましたよ(ひとり言ですけど)とにかく、いい車が来たことに万歳。過酷なフライトをがまんしたご褒美が神様から来たと理解しました。

 さてさて、前置きが長くなってしまいました。(最近「ネタが薄いのヨタ話でカバーしてるだろ」という鋭すぎるご意見、頂戴しました。冷や汗・・・「ま、クソ真面目でつまんないよりはいいけど」と付け加えがあったので、とりあえず懲りずにやってますが・・・みなさん、OKですか?コレ)

ADTイベントセンター、アメリカでの国際大会といったら、ココ
ADTイベントセンター、アメリカでの国際大会といったら、ココ
練習日のバンク。お客さんがいないので広く見えます
練習日のバンク。
お客さんがいないので広く見えます
 ロサンゼルス大会の会場はADTイベントセンター。板張り250mの室内トラックですが、このトラックに使用した木材はシベリア松。ドイツでバンク用に加工してから船で輸送されたそうです。使われた松の長さの合計はおよそ53km、使われた釘の数は25万本といいますから、板張りバンクをつくるというのは、やはり大変なプロジェクトなのですね。このバンクは見た目にも、とても明るくて、美しいバンクです。ただ、走った選手達に言わせると少し重たい感じがするそうです。記録を見ていても、若干タイムが出にくいのかなという印象がありますね。

同じ敷地にある、サッカーの施設。もうすぐここでベッカムが
同じ敷地にある、サッカーの施設。
もうすぐここでベッカムが
 このADTイベントセンターを含む総合スポーツ施設が「ホームデポセンター」。陸上、テニスなど数々の施設が揃っていますが、今、最も旬の話題は、ここはデビッド・ベッカムが移籍することになったサッカーチーム「ロスアンゼルス・ギャラクシー」のホームグラウンドだということでしょう。ヨーロッパでも日本でも大騒ぎですが、当のホームグラウンドは意外と淡々としていました。「Welcome Beckham !」みたいな垂れ幕ぐらいあってもいいと思いましたが、どこにも見当たらないし、アメリカにおけるサッカーというスポーツの位置づけがよくわかる気がしました。今回、ワールドカップを見に来たお客さん何人かと話しましたが、「ベッカムが来るネェ」というと「そうらしいけど、あんまり関係ねぇな。イヴァン・バッソがディスカバリーチャンネルに来たのは興味あるけどな。ところで日本の競輪って、賞金がスゴいんだってな。何人ぐらい選手がいるんだ?」などど、逆に質問されてしまいます。競輪の質問が終わると今度は「マツザカって、そんなにスゴいピッチャーなのか?」と野球の質問。同じ外国からの移籍選手でもサッカーと野球とでは、話のテンションが違います。しかし、あとで考えてみると、典型的なアメリカ人で、典型的な自転車好きと会話をしたんだなぁと思い、おかしくなりました。

 まぁ、ここはアメリカ。そして自転車競技の世界大会の会場なのだから、当たり前ですね。外国人と言えば、日本の自転車競技にもやってきましたね。フレデリック・マニエ。現役時代はトラック競技の選手ですが、今回は日本自転車競技の総監督としての就任です。マニエ監督の招聘はロンドンオリンピックを最終目標に置いた長期的な計画です。ですから、もちろん手を抜くわけではないけれど、マニエジャパンにとって北京オリンピックは通過点というわけです。

 マニエ監督のプロフィールについて少しふれておきましょう。1969年2月生まれのフランス人。現役時代は、タンデム競技で4回、ケイリンで3回のワールドチャンピオン。さらにケイリンでは3度の銅メダル。スプリントでは優勝こそありませんが、銀と銅をそれぞれ1回、オリンピックには4度出場。ワールドカップやフランス国内大会でのタイトルは数え上げるとキリありません。日本の国際競輪には5回も参加しているので、走りを覚えている方も多いかもしれませんね。

 2000年に現役を引退してからは、フランスのトラック競技ジュニアチームのコーチ、その翌年からはUCIワールドサイクリングセンター(WCC)のトラック競技ヘッドコーチ、2004年からはヘッドコーチは続けながら、全ての競技の強化を統括する強化訓練部門のマネージャーにも就任しました。そして、この度日本の総監督ということになったわけです。

 ジュニア時代にはフランスのスポーツエリートのための教育機関で、別名「オリンピックのためのキャンパス」とも呼ばれているINSEP=インセップ(フランス国立スポーツ学院)に学び、現役時代の終わりごろには再びINSEPで教育者課程を修了し、指導者としての準備をしています。このように、彼はまさにフランススポーツ界の王道を歩んできた人です。

 指導者となってからは、WCCで指導することにより、ダイヤモンドの原石を磨くことにたずさわりました。今、トラック競技で活躍している多くの若手選手が、彼の指導を受けた選手たちなのです。(UCI、WCCについてはバックナンバー2005年7月「UCIって知ってますか?」をご覧下さい)
 このように競技歴を見ても指導歴を見ても文句のつけようがありません。日本自転車サポーターとしては、彼が日本を率いることによってさらに履歴書に箔をつけることを願いたいですね。

マニエ監督には伝えたいことがいっぱい。話す、話す。
マニエ監督には伝えたいことがいっぱい。話す、話す。
  今回、初戦ということもあり、私も注意深くマニエ監督の動きを見ていましたが、とにかく意識して選手に声をかけ、その日走らない選手にも気を配っています。これに応じるかのように選手たちのほうも声がかかると真剣に話を聞いています。言語という部分でお互いコミュニケーションがスムースにとれない分、真剣さは増しています。この真剣さのまま、もっと詳細なコミュニケーションがとれれば、よい結果をもたらす気がします。
ナリタ、ワカリマスカ?
ナリタ、ワカリマスカ?
 マニエ氏は選手のメンタル面にもかなり気を使う監督です。外国人監督というとアテネオリンピックの時に日本を率いたゲーリー・ウエスト監督を思い出しますが、彼は理論や戦術については、しっかりと説明し、メンタルな部分についてはあまり立ち入らずに「自分で管理しろ」というタイプだったと思います。一方、マニエ監督は負けて落ち込む選手をフォローする、という行動をとります。「この部分は出来なくて負けちゃったけど、ここの部分については私が教えたとおり完璧に出来たじゃないか。試合の結果よりも私はそのことがうれしい。何事も一気に全部はできないんだ。これから、いっぱい戦術を教えてやるから一つ一つ覚えよう」こんな感じです。どちら監督のやり方がいいと言っているわけではないのですが、マニエ監督はそういうタイプの監督のようです。
WCC時代からのマニエの教え子、永井選手もやる気マンマン
WCC時代からのマニエの教え子、永井選手もやる気マンマン
 まだ初戦しか見ていないので、日本がこれからどういう雰囲気のチームになっていくのか、完全に予想は出来ませんが、今回に関して言うとチーム全体に「やるぞ」という雰囲気が漂っていました。結果としても今シーズン初のメダルを及川裕奨選手が獲得しましたし、他の選手からも「監督が教えてくれることを、実践してみよう」という意気込みが感じられました。

 及川選手は銅メダルを獲ったので、JCFのホームページにマニエ監督と北津留翼選手のツーショットが掲載され、北津留選手が「マニエ一番弟子」のように映っていることについて「ワールドカップ、ブロンズ、ブロンズ!キタツル、チェンジ。ネクスト、ミー!」と、「今一番の優等生だゾ」ということを主張して、マニエ監督も笑いながらうなずいていました。

 後で及川選手はまわりに「ねぇ、オレの言いたかったことマニエに通じた?」と聞いていましたが、通じていたかどうかは別として(「通じてた」って言えよ~)こういう発言が出るというのは「監督に認められたい」という気持ちがあるからですよね。つまり「チームの指導者としてのマニエ監督についていこう」という気持ちの表れだと思います。このやる気に満ちた雰囲気が、今後も続き、それがさらによい結果につながることを期待したいですね。これから、ますます楽しみになってきました。勢いに乗って今シーズン残された大会をガンガン攻めて行ってくれ、ネオジャパン!

 
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