KEIRIN SIDE STORY

 誰もいない整備場。整然と並ぶ自転車が穏やかな光を浴び、まもなくウォーミングアップに訪れる選手を心待ちにしている。
 ここは競輪場。20 代前半から50 代の選手がファンの期待を背負い勝利を目指す舞台だ。醍醐味の一つは、ベテラン選手の老練の走りと若手選手の気鋭の走りが織りなす勝負の行方。さまざまな思いが交錯する舞台裏を写真で紡ぎます。
2018年12月 小倉競輪場
「練習仲間のおかげで頑張れたっす」
高校時代サッカーで半月板損傷、切除を経験したが体力に自信はあった。
「1000Mをやらされた時、自転車ってこんなにキツイのかと衝撃を受けました」
競輪学校1回目の受験は失敗したが、仲間が支えとなった。
「心も折れかけたんですけど、練習仲間のおかげで頑張れたっす」
デビュー戦優勝で好スタート。
「その後もしっかり決勝戦に乗れ、思っていたより走れているかなと。トップスピードも上げたい、北日本を背負っていける選手になりたいです」
太田 将成
宮城  113期
22歳  A級3班
「あの人には勝てないなぁ。だけど、この人には勝とう」
今も昔も変わらぬ思い。
「もう、これしかないと思っている。1日1日競輪に対し頑張る、それだけ」
たとえ限界が見えたとしても諦めない。
「あの人には勝てないなぁ。だけど、この人には勝とう。そういう気持ちでやっていました」
高校卒業後の飲食店店員時代に競輪の存在を知ってから約40年。
「よく周りから60歳までとか言われるんですけどね、そういう感じはなくて一戦一戦がんばる、それでやってます」
鈴木 栄司
千葉  50期
57歳  A級3班
 
「自力が一番近道だと感じています」
自らの思いをレースで表現するには自力である必要があった。
「若い時分は先行したいっていうのがあった。歳を重ね思うように走れなくなったが、一戦一戦力を出し切りたい。あと、車券が関わってきますので1着を目指すということが、僕の中では自力が一番近道だと感じています」
競走得点も引退勧告ギリギリで後がないが。
「今期のチャレンジ戦で気持ちを保つのがなかなか難しいが、五体満足力も出し切れますので、気持ち8割行けるとこまで頑張ります」
浅井 雄三
岐阜  79期
46歳  A級3班
「この緊張感は味わえない」
怪我からの復帰、その繰り返しだった。
「落車でいろんな後遺症が出てきて、50歳手前でガクッときて、50歳でA級1班から3班にバッと落ち、まったく踏めなくなった」
それでも自転車に乗ることをやめない。
「最近、練習ができるようになってきた。距離が乗れるようになると楽しい。無になれるんです」
もう1つ心の薬がある。
「この緊張感は味わえない。それが欲しくなる感じです」
川添 輝彦
沖縄  56期
53歳  A級3班