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日本競輪学校は、設立当初、日本サイクリストセンター(NCC)として、昭和25年(1950年)東京都調布市に設置された。当時の高まる競輪人気にあわせ全国に競輪場が新設されたが、選手の絶対数が不足していて、自転車振興会連合会(当時の日本自転車振興会)に行き、選手になりたいと希望すれば即座に選手登録ができるという状況だった。中には素質に問題がある選手もいて、各競輪場で頻発した事故の原因の中に選手の未熟さというものが占める部分は大きかった。そこで、競輪選手としてふさわしい人物の養成のため、日本サイクリストセンターが設立されたのである。

設立当初は、登録選手の再訓練と新人教育が行われ、昭和26年には第1回生135人が入学、以後25回生まで新人選手を輩出した。またその間の昭和30年(1955年)に、日本競輪学校(NKG)と改称した。

その後昭和43年(1968年)、静岡県伊豆修善寺町(当時)の学校設備に競輪学校は移転した。新しい競輪学校は調布時代にはなかった専用ピスト、ロード練習用のサーキットのほか、雨天の練習用にローラー練習場も備え、環境・設備とも理想的な形となっている。

卒業記念レースは、日本サイクリストセンター時代に模擬レースという名前で行われていたものが発祥となっている。第19回生までは、模擬レースのみが行われていた。第20回生からは卒業記念レースと模擬レースが共に実施され、日本競輪学校が修善寺に移った第26回生からは卒業記念レースとして一本化された。

卒業記念レースの概定番組は、第42回生までは予選2回戦、第43回生以降第87回生までは予選3回戦で行われていた。第88回生からは予選2回戦に、また、第89回生からは、訓練成績優秀者による日本競輪学校選抜1個レースを導入している。

日本競輪学校選抜は、「エリート班(第88回生から導入された)」の生徒を中心に、日常の競走訓練において結果を残した者や努力した者を選抜し、たとえ末着でも予選競走の1着よりも上位として取り扱われている。卒業記念レース決勝戦へは、まず日本競輪学校選抜に出場することが大事。そのために生徒は日常訓練にも全力をもって取り組んでいる。

一生に1回しか取れない「卒記チャンプ」の称号だけに、日常の競走訓練とは違った激しいレースが展開される。決勝競走に落車・失格が多いのもその激しさの表れか。生徒たちには、競技規則を守った上で、正々堂々と力の勝負を見せてもらいたい。

制度が変わっても、卒業記念優勝者の輝きは衰えない。卒業記念を優勝した選手は、その後皆一流レーサーになっている。卒業記念レースは未来のスターを発掘できる大チャンス。ぜひあなたの目で、未来の競輪を背負って立つ逸材を見つけ出してほしい。

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