日本選手権競輪とは

日本選手権競輪とは

日本選手権競輪は通称「ダービー」と呼ばれ、競輪界初の特別競輪として創設された開催としてお客様に親しまれている。

1949年(昭和24年)、開催名称を「全国争覇競輪」として第1回(※1大阪住之江競輪場)が開催された。当初は春と秋に1回ずつ、東西に分かれて開催していたが、1953年(昭和28年)の第8回(※2大阪中央競輪場)からは年1回の6日間開催となった。なお、「全国争覇競輪」の名称は1963年(昭和38年)の第16回(※3一宮競輪場)まで使用される。

1956年(昭和31年)の第12回からは、新たな特別競輪の開催に伴い※4後楽園競輪場での固定開催となった。当時全国屈指の入場者数を誇っていた後楽園競輪場での開催は、1960年(昭和35年)の第15回に約23万人の入場者を集め、場内はスタンドから立見席まで超満員であった。同開催の売上高は約89億2000万円にのぼり、同年度の年間総売上の10%を超える金額となった。

しかし、前述の入場者数から警備上の問題が浮上し、1961年(昭和36年)10月の第16回開催は中止となってしまった。入場者の増加による混乱は1962年(昭和37年)も続き、後楽園競輪場はおろか、近隣の競輪場も殺到する入場者数を懸念し、引き受けかねる状態であった。その中で、大都市競輪場が引き受けかねるのであればと、名乗りを上げたのが一宮競輪場であった。第16回は1963年(昭和38年)3月に開催され、辛くも2年連続の中止を免れた。

1964年(昭和39年)第17回より開催名称を「日本選手権競輪」に改め現在に至る。また、1969年(昭和44年)以降は各場で開催されることとなった。

1976年(昭和51年)第27回(千葉競輪場)からは、原則として、選手選考委員会により選出された選手によりトライアルレースを実施して全出場選手を決定する方式となり、1995年(平成7年)第48回(松戸競輪場)まで実施された。

1996年(平成8年)第49回(千葉競輪場)からは、平均競走得点の上位選手から順次選抜する方式となった。1998年(平成10年)第51回(西武園競輪場)からは、特別競輪等選手選考評価点(B級在籍時の競走成績は除外する)の上位選手から順次選抜する方式となった。

2002年(平成14年)第55回(立川競輪場)では、敗者復活戦が1985年(昭和60年) 以来17年ぶりに復活した。これに伴い準決勝が4個レース(2着までが決勝進出)となり、ゴールデンレーサー賞1着者が準決勝を走らずに決勝に進出する概定番組となった。しかしながら、2003年(平成15年)第56回(平塚競輪場)の概定番組は、敗者復活戦が廃止となり、準決勝3個レースとなった。

2004年(平成16年)第57回(静岡競輪場)からは、通算取得金額上位者を選考するようになり現在に至る。

なお、2020年(令和2年)第74回(静岡競輪場)は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため開催中止となった。

※1大阪住之江競輪場 1948年12月~1964年5月(休止)

※2大阪中央競輪場  1950年3月~1962年3月(廃止)

※3一宮競輪場    1950年11月~2014年3月(廃止)

※4後楽園競輪場   1949年11月~1973年3月(廃止)