氏 名 |
新田 祐大 |
フリガナ |
ニッタ ユウダイ |
期 別 |
90期 |
府 県 |
福島県 |
登 録 |
平成17年5月1日 |
生年月日 |
昭和61年1月25日 |
血液型 |
O型 |
身 長 |
173cm |
体 重 |
87kg |
優勝者コメント
(初のダービー優勝は)4日制のG1というか、今回は6日間休みも入れてあったんですけど、G1の決勝というのは本当に何回も乗っていて、そのなかで最初のほうは初めて乗ったころは先輩を引き立てる役としてしっかり頑張っていてその結果、先輩の優勝を目の前で見たりとか、ワンツー決めたりとかというレースが多かったので、いつか僕もそういうふうにG1を獲ってグランプリという舞台に立ちたいという気持ちで。オリンピックが終わってからですかね。本当にG1を意識し始めましたね。(最初のG1の決勝に乗ったのは)寬仁親王牌の決勝でした。なかなか届きそうで届かないG1の優勝っていうものは何度か続いて、そのなかで先輩たちの優勝も見てきましたし、今回この日本選手権競輪ダービーっていうものはどの選手も一年の目標としてまずここを掲げていると思うんですけど、そのなかで全員が全員バッチリ体調をコンディションを合わせてきたなかで優勝できたのはすごく大きなものだったと思います。(京王閣といえば2年前のオールスターで初優勝かというシーンがあったが)あのころはまだまだ僕に足りないものっていうのがあったと思いますし。本当に勢いがあったというか勢いだけで行っていた部分もすごくあったと思うんですけど、そのなかであの位置まで行って、そのなかで悔しさというもの、喜びというものを感じながらそのあとのレースっていうのを考えるようになっていきました。(このダービーの決勝は)車番的にも外側になってしまうと思ったので、武田(豊樹)さん、平原(康多)さんのラインが全員が注目して意識してるラインだと思いましたし、そして浅井(康太)さんとは今年に入ってからもすごい戦うことが多く、別ラインなんですけど勝ち上がっていくことによって4日制のレースで3日間一緒とか2日間常に一緒っていうのがあったので、その戦法とかお互いになんかこう意識はしてないつもりでも意識し合っているというか、そのほかにも原田(研太朗)君は絶好調で決勝まで勝ち上がってきていたのでそれをうまく、レースというものは動きがあると思うんですけど、そのレースを動かしながら自分の勝ちやすい展開へと持ってくっていうのは(決勝の)理想のレースでした。タイミングとしては武田さんが仕掛けてそのあと井上(昌己)さんが振ってっていうところまでは見えたんですけど、武田さんが仕掛けてる時点で、平原さんの動きとかそういうものを気にするよりも、とりあえず前に前にという意識を持って走りました。ゴールしてスーパースローになったときに自分じゃないかなと思った部分もあったんですけど、実際走っていたときは浅井さんがすごい伸びてきた感じがあったので2着で賞金を稼いでまたグランプリ目指さなきゃなっていう気持ちで帰ってきたところに敢闘門で先輩たちが「優勝だろう」っていうのが聞こえたので「まぁもしかしたら…」って思っていたら確定が出てそこで確実に確信に変わりました。本当に走る前からこのレースに懸けてた思いっていうのはすごい強くて、ここに来るまでに本当に直前まで、ここに入る日まで体のケアをしていただいたりだとか、自転車の整備をしてもらったりだとか精神的な部分でフォローしてもらったりとかってたくさんの人たちに支えられてるなっていうのを感じながらスタート位置に立って、そういう気持ちは本当に感謝の気持ちという形で込み上げてきました。競輪というなかで僕の職業は競輪選手っていう職業なんですけど、そのなかで自転車競技、オリンピックというものを目指して僕はこの競輪選手になって、初め競輪選手になるためにオリンピックを目指したわけではなかったので、オリンピック選手として走るために競輪を頑張るというスタイルで僕はやってきていて。ただそのなかでオリンピックになんとか出場することができたんですけど、それでは日本の競輪でも国際競技でも通用しないという部分を自分のなかで感じて。そのロンドンオリンピックが終わってから日本の競輪に対しても真摯に向き合ってやっていこうという気持ちが競技のほうの結果も良いような形でつながってきているのかなと思っております。東日本大震災が2011年3月11日にありまして、僕はちょうどそのとき東京で世界選手権の合宿をしていたのですが、そのまま日本全体がどうなってしまうんだろうというなかでオランダに世界選手権に向かいまして、結果も全然ボロボロでこのままオリンピックというものを目指してっていいのかっていうのをすごい感じて、日本人全員が感じていたんですが、そのなかで2012年ロンドンオリンピックに向けて福島でトレーニングしていくなかで、福島の被災されてる方たちに「オリンピックに出て頑張っている姿を見せてもらえれば励みになる」ということを言っていただいて、なんとかオリンピックに出場して「おめでとう」と言っていただいたんですけど、やはりそこがゴールではなく、それがきっかけであって何か僕のなかでもできないかなとずっと心のなかで思っていた部分もあったんですが、ロンドンオリンピックが終わってからいろんな方にアドバイスをいただいて被災地のいわきに行って病院の方々に会ったりとか幼稚園の子供たちとお話したりとか、そういうところで僕がオリンピック選手として経験したことを話して、それが次世代の子供たちに夢をっていう気持ちで行ったんですが、逆にその新田選手の頑張りを子供たちが喜んでくれてるって言ってくれてるんですけど、その子供たちの言葉を僕自身が受けてまたさらに励みになって、それがまたこのシビアな世界、競輪というなかで戦ってくなかでの勇気にもなり、力にもなり、そして次への目標を掲げるなにかっていうものをすごく肌から感じたものだったなというものをロンドンオリンピックが終わってから学びましたね。まだ選考基準とかそういうものもあるので。東京オリンピックに関してはまだ選考基準も出てないですし、まずは目の前のリオデジャネイロオリンピックなんですけど。リオデジャネイロオリンピックの場合は選考基準に満たすまでにどういうふうに戦っていったらいいのかっていうのは、今現在ナショナルチームの主力メンバーとして戦って、今回も来てますけど渡邉一成選手、そして中川誠一郎選手、脇本(雄太)選手、そのほかにも今回来てないんですけど河端朋之選手、雨谷(一樹)選手、本当にたくさんの選手たちが頑張っていて。僕がまだちょっとそこの舞台に、競輪というものに集中していて立てていなかったので、日本の競輪っていうものは世界のケイリンに通用するっていうところを見せられるように、まずは日本の競輪で1番になること。それが僕のなかでリオデジャネイロに向けての切符を掴むためのまずワンステップじゃないかなと思ってずっと頑張ってきたので。これですべて日本の競輪を休憩するとかではないんですけど、リオデジャネイロオリンピックに向けても、もっと集中してトレーニング、そして競技の大会に出たりとか出場っていうものをしていって経験を積むことがあと1年半ないんですけど、1年3カ月くらいあるので、なんとかして日本の競輪っていうものが世界に通用するっていうのを見せていきたいと思います。今回優勝することを目標としては来ていたんですが、今回優勝できなくてもなんとか賞金でグランプリに出場したいっていう気持ちがありまして、それはなぜかというと、2016年リオデジャネイロオリンピックに出場するためにもやはりシード権というか、オリンピックに出るための競輪の出場したときの特選シード権っていうのはすごく重要になってきますので、それを得ることができたことによって競輪をおろそかにすることではなく本当にオリンピックにも集中でき、そして日本の競輪にも集中できる環境っていうのが整えることができたんじゃないかなっと思っております。(今回の賞金は)僕はトレーニングにすごい投資しているのでもっと強くなるためにいろいろとトレーニングで投資していきたいと思っています。(ダービー王の称号に関して)まだ実感が湧きませんね。僕を生んでくれた母親、ここまで育ててくれた家族には本当に、僕は高校生のころから下宿という形で家を出ていたのでずっと支えてもらっていたという意味で家族に一番最初に伝えたいと思ってます。今回優勝したことが安心するということではなく、これをきっかけにもっと積極的なレースを日々心がけてできるようになると思うので、まずはグランプリ出場権を僕は獲得しましたし、前回の全日本選抜で山崎(芳仁)さんが獲得してますので二人ということで、そのなかでもっともっと強い選手たちを引き出して福島、そして北日本というものがすごい自転車競輪で強いっていうものをまたアピールできるようなレースをしていきたいと思ってます。今まで競輪選手になって簡単に感謝とか、ありがとうとかっていう気持ちを口にしていたと思っているのですが、先ほど言ったようにロンドンオリンピックが終わってからいろんな方に接することがあってそこで学んできたって言ってはいたんですが、本当に日本国内だけではなく、僕は海外のほうのトレーニングにも行ってたりしていて。そこで赤の他人というような形なのに僕を家族のように受け入れてくれた人たちにも心より感謝していますし、「ありがとう」という言葉を伝えたいです。あとやはり家族にももちろんそうなんですけど、競輪選手として、いち競輪選手としてここまで育ててくださった班目秀雄師匠に本当に心から感謝しているという言葉を伝えたいです。
これまでの成績
競輪学校在校時成績(出走回数:74)
1着 |
2着 |
3着 |
着外 |
在校順位 |
卒業記念レース成績 |
2 |
4 |
8 |
60 |
52 |
2 4 3 7 |
200Mタイム |
400Mタイム |
1000Mタイム |
最高速度 |
ダッシュ力 |
持続時間 |
回転力 |
11秒20 |
23秒31 |
1分08秒62 |
65.90Km/h |
7.42秒 |
16.71秒 |
2.61R/S |
|
年月日 |
競輪場 |
成績 |
デビュー |
平成17年7月15日 |
函館競輪場 |
1・7・棄 |
初勝利 |
平成17年7月15日 |
函館競輪場 |
1・7・棄 |
初優勝 |
平成18年4月14日 |
京王閣競輪場 |
5・2・(1) |
成績
|
出走数 |
1着 |
2着 |
3着 |
着外 |
棄権 |
失格 |
獲得賞金 |
獲得賞金 順位 |
デビュー~ 昨年12月 |
655 |
202 |
107 |
70 |
264 |
8 |
4 |
\360,179,500 |
― |
昨年 |
58 |
22 |
10 |
5 |
19 |
1 |
1 |
\64,333,500 |
10位 |
本年 |
22 |
12 |
4 |
0 |
5 |
1 |
0 |
\75,464,800 |
|
通算 |
677 |
214 |
111 |
70 |
269 |
9 |
4 |
\435,644,300 |
― |
GP・GI 過去1年成績
競輪名称 |
開催初日 |
競輪場 |
成績 |
第57回 オールスター競輪 |
平成26年9月11日 |
前橋 |
(3) 3 2 (4) |
第56回 朝日新聞社杯競輪祭 |
平成26年11月21日 |
小倉 |
(7) 4 1 1 |
第30回 読売新聞社杯全日本選抜競輪 |
平成27年2月12日 |
静岡 |
(1) (1) 7 1 |
第68回 日本選手権競輪 |
平成27年3月17日 |
京王閣 |
(2) (1) 1 (1) |
特別競輪等優勝歴
- SSカップみのり2010
- (H22.12 立川)
- 第30回共同通信社杯
- (H26.4 伊東)
- 第68回日本選手権競輪
- (H27.3 京王閣)