2000年8月11日(金) 大会第1日 晴れ時々曇り一時雨 気温40度 |
2000年ワールドカップ最終戦となる第5戦マレーシア大会は、クアラルンプールの北西200km、マレーシア第3の都市イポーにおいて、25カ国から113名(男子82名、女子31名)が参加し、本日熱戦の火蓋がきられた。
競技場は250mの板張りだが屋根はなく、幅員は7m、最大斜度は43度でありコーナーがきつめの設計となっている。 |
本日の成績 |
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大会初日、最初の種目である男子スプリントには先のアジア選手権で同種目に優勝し、好調の波に乗る伊勢崎彰大が出場した。
前日からの雨の影響で、予定より1時間半遅れて始まった200mタイムトライアルを10秒824の4位で通過し今大会も「調子は良い」(伊勢崎)ことを証明。
1回戦では地元マレーシアのN.ジョシアとの対戦。予選タイムで0.4秒近い差があり楽勝かと思われたが、気持ち的に「へんに余裕がありすぎて」(伊勢崎)相手に隙をつかれてカマされると、慌てて追走しようとした2センターで車体が大きくブレてギブアップ。 |
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続く敗者復活戦でも、カナダのD.バロンの先行を差せずに2着敗退となり、スピードはあるもののテクニック面での課題を残した戦いとなった。 |
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日本チームからは久々のエントリーとなる同種目へはベテラン飯島規之が出場した。
予選第4組ホーム側からのスタートとなった飯島規之は40度を越える気温の中、着実にタイムを刻み、4分40秒090で予選を4位で通過、日本人選手としてはワールドカップ至上初の同種目での3・4位決定戦進出を果たした。
夕方のセッションで行われた3・4位決定戦ではニュージーランドのG.アンダーソンと対戦。
2km通過までは互角の戦いを見せたがそこからジリジリと離され、表彰台には惜しくも手が届かなかった。
レース後の飯島規之は「(有力選手の参加が少なく)ラッキーでした。」と短く感想を述べ自身の成績に満足そうな表情を見せた。 |
同期の神山、同郷の太田がオリンピック出場を決めた選考会のポイントレースでは惜しくも2位に終わり、夢のオリンピック出場を果たせなかった飯島規之だがその鬱憤をはらすかのような快走であった。 |