寬仁親王牌とは

概要

 平成2年8月、アジアで初めて開催された「世界選手権自転車競技大会」(トラック競技【グリーンドーム前橋】・ロード競技【宇都宮】)を記念し、平成2年5月に行われた『世界選手権自転車競技日本大会特別記念レース』がルーツとなっている。
 平成4年「世界選手権自転車競技大会」日本大会の名誉総裁をお務めになられた寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)より"寬仁親王牌"が下賜されるとともに、それまでの1日開催から3日間開催のトーナメント戦となったため、『世界選手権記念トーナメント(寬仁親王牌争奪)』と名称を改め実施されたのが第1回である。

その後、下記変遷を辿り、現在に至っている。
平成5年5月 (第2回) 4日間開催へ。
平成6年10月 (第3回) 現在の『寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント』へと名称変更。
特別競輪へ格上げ(初の4日制特別競輪となる)。
平成11年7月 (第8回) 開催月が10月から7月へ。
平成13年7月 (第10回) グレード制導入に伴い、【GI】として格付け。

沿革

1990年【平成2年】
5月14日
「第37回全日本プロフェッショナル選手権自転車競技大会(以下、全プロ)」の翌日に参加選手を中心に、S級45名、A級18名及び外国人選手9名により1日開催で「1990年世界選手権自転車競技日本大会特別記念レース(平成2年度前橋市営第6回施設等改善前橋競輪)」を実施。

《参考》 8レース(9車立)、先頭固定競走
・特別選抜競走
 スーパープロ・
ピストレーサー賞
(S級選手) 1レース
・選抜競走
(S級選手) 4レース
・選抜競走
(外国人選手) 1レース
・選抜競走
(A級選手) 2レース
1991年【平成3年】
5月12日
「第38回全プロ」の翌日に、参加選手のうち、S級63名、A級27名及び外国人選手9名により1日開催で「世界選手権自転車競技日本大会特別記念レース(平成3年度前橋市営第1回施設等改善前橋競輪)」を実施。

《参考》 11レース(9車立)、先頭固定競走
・スーパー・プロ・レース
(S級選手) 1レース
・特別選抜競走
(S級選手) 2レース
・選抜競走
(S級選手) 4レース
・選抜競走
(外国人選手) 1レース
・選抜競走
(A級選手) 3レース
1992年【平成4年】
5月17日-19日
この大会より"寬仁親王牌"が下賜されるとともに、3日間のトーナメント戦となり「世界選手権記念トーナメント(寬仁親王牌争奪)」の名称で開催。選手選考は「第39回全プロ」ピスト競技に出場した選手のなかから行われ、S級63名、A級36名及び外国人選手8名が出場した。
この大会は初日に「国際グランプリレース(日本人5名/外国人4名)」、「国際選抜(日本人4名/外国人4名)」、第2日目に「外国人選抜」が行われるなど、『国際競輪』のファイナルイベント的な色合いが濃かった。
1993年【平成5年】
5月23日-26日
「第40回全プロ」の翌日を前検日として、S級トーナメント8レース、A級トーナメント4レースの4日制競輪として実施。
第2日目最終レースに初日特別選抜競走1~3着者により争われる、「ローズカップ」(全員が準決勝進出)が新設された。
1994年【平成6年】
10月23日-26日
この大会より初の4日制での特別競輪となり、「第3回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」の名称で開催。初日に1着~5着者がローズカップへ進出する「日本競輪選手会理事長杯」が新設された(特別選抜予選からは1着~2着者がローズカップへ)。
2001年【平成13年】 グレード制の導入により、GIとして格付けされた。
2012年【平成24年】 6月6日に薨去された寬仁親王殿下に対して哀悼の意を表するため、寬仁親王殿下を追悼する大会として開催された。