共同通信社杯競輪とは

 共同通信社杯競輪の始まりは、1988年10月に平塚競輪場で、競輪40周年記念レースとして企画された「ルビーカップ」であった。ここでは「チャンピオン杯」と「シニア杯」、2つの単発レースが行われた。
 チャンピオン杯は全国8地区ごとに平均競走得点(1988年1~6月)第1位の選手と選手選考委員会で選抜された1名の合計9選手、シニア杯は1987年度以前の特別競輪を優勝したA級に所属する(選考順はA1→A2→A3)9選手で行われた。

 1989年から「ルビーカップ」は共同通信社より冠を戴き、「共同通信社杯レース(ルビーカップ)」と名称を改め、全国8地区から選ばれた9選手による単発レースとして実施された。1994年第7回の開催は、特別競輪等の運営方法改正に伴い、8月の全日本選抜競輪(大垣競輪場)の4日目に組み込まれ、「共同通信社杯・スタールビー賞」として特別選抜予選の1~3位の9選手によって行われた。
 1996年第8回開催からは4日制の準特別競輪格である「共同通信社杯競輪」となった。さらに、2001年4月以降のグレード制導入により開催が10月となったことや、共同通信社杯競輪の最終日上位27名に競輪祭の出場資格が与えられたことなどから、2001年第14回~2008年第21回までは競輪祭の前哨戦として位置付けられた。

 2009年以降の開催は、特別競輪等の見直しにより、春(4月)と秋(10月)の2回開催となり、それぞれ「共同通信社杯春一番」と「共同通信社杯秋本番」と名付けられた。2009年第22回開催の「共同通信社杯春一番」においては、選考基準を北京オリンピック代表選手、前年のヤンググランプリ出場選手、86期~93期の得点上位16人などとし、若手選手の登竜門と言える現在の「共同通信社杯競輪」と似た形となっている。

 2012年第28回開催からは、特別競輪等の見直しにより、グレードレース開催の日程過密化及び出場選手のワンパターン化を是正する観点から再び年1回の開催となり、名称は「共同通信社杯」と改められた。なお、「共同通信社杯春一番」と同様に、初日特選レースがないオール予選(一次予選)の形となった。また、新たな取り組みとして「自動番組編成方式」を取り入れ、一次予選は選考順位、二次予選は着位及び選考順位を基に自動的に番組編成が行われた。2016年第32回開催からは4月開催を9月開催に移行し、2024年第40回開催より、名称を「共同通信社杯競輪」と改め、現在に至る。

<共同通信社杯競輪の変遷>

第1回(1988年)
競輪誕生40周年を記念し、『第1回ルビーカップ』(単発競走)として実施

第2回(1989年)~第6回(1993年)
名称を変更し、『共同通信社杯レース(ルビーカップ)』(単発競走)として実施

第7回(1994年)
同年8月開催の第10回全日本選抜競輪(6日制)4日目第11レース(シードレース)に『共同通信社杯スタールビー賞』として実施

第8回(1996年)~第21回(2008年)
第8回から『共同通信社杯競輪』の名称となり、4日制トーナメントの準特別競輪となる
※2001年度よりグレード制(GP、GI、GII、GIII、FI、FII)を導入

第22回(2009年)~第27回(2011年)
『共同通信社杯春一番』(GII)、『共同通信社杯秋本番』(GII)の年2回開催となる

第28回(2012年)~第39回(2023年)
『共同通信社杯』の名称で開催。開催は年1回となる

第40回(2024年)
『共同通信社杯競輪』の名称となる