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合志 正臣 INTERVIEW at 2009/02/02

甲子園球児の人生をかえた、熊本競輪でのプロの走り

  • PROFILE
合志 正臣

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合志 正臣
Q.01 子供のころは野球一筋だったんですよね。甲子園出場のご経験もあるとお聞きしました。

小学・中学・高校の9年間野球をやっていました。ずっとプロ野球選手になりたかった。もしなれなかったとしても、一生野球に関わって生きていくんだろうなぁと、自分だけではなく両親ですら思っていたほど。野球を切り離した生活なんて考えられない野球小僧だったんですよ(笑)
でも、高校3年生の時、春の選抜で甲子園に出場したのに、夏は出場できなくなってしまって…。これは自分の進路を左右する重大なことだったんです。夏に甲子園出場をすれば、スムーズにプロ野球や希望の大学などに進めるのに、夢が絶たれてしまったわけですから。

この先どうしようかと悩んでいたとき、父親が「競輪という世界もあるよ」と言ってくれてね。しかも、野球部の先輩で競輪選手になった方もいたことも知って、競輪選手に興味を持ちはじめたんです。

Q.02 17歳の大きな転機ですね。その後、どのような経緯で競輪の世界に入ったのですか?

いざ競輪選手になろうと思っても、競輪を見たことがないし、通っていた高校のすぐ近くに競輪場があったことすら知らなかった(笑)。
そこで「競輪をちゃんと知りたいから、競輪場に連れてってくれ」と父に頼んで、まずは競輪場にレースを見に行ったんです。
生まれて初めて見たレースが、熊本でのオールスター競輪というGIの大きな大会で、トップ選手たちが走る姿はものすごい迫力があって。自分が通学で乗っている自転車と違って、レーサーがとにかく美しいと思ったことと、選手が疾走しているときの音がものすごく綺麗なことが、とても新鮮だったんです。なおかつ賞金をみたら、高いじゃないですか(笑)

こうして、自転車の魅力的なところに初めて肌で触れて、競輪の世界を目指す決心をしたんです。野球部のチームメイトが3人プロ野球選手になったんですが、自分は彼らに負けたくなかったから、違うプロの世界で勝負しようとも思ってね。

Q.03 野球から方向転換し、競輪を始めて何が一番つらかったでしょうか。

自分は野球をやっていたから体力的な自信もあったし、通学は自転車だったから、自転車に関してはそこそこやっていけるだろうと内心思っていました。でも、野球の練習のキツさと比べものにならないくらい自転車はしんどかった(笑)

特に、競輪学校に入るまでは相当つらかったです。競輪学校を目指す人たちは、みんな高校3年間自転車競技の経験者。でも自分は、自転車の経験がない上に、3年の差があるわけですよ。その差を半年や1年くらいで縮めなければならなかったから、人と同じでは追いつかない。しかも、競輪学校に入ってからは、高校自転車界の超スーパースターがいるんです(笑)そこに壁があるわけですよ。すごいなと思うと同時に、時間はかかるかもしれないけれど、必ず追いついてみせるという気持ちはありましたね。

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