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紫原 政文 INTERVIEW at 2009/02/02

世界の中野浩一の愛弟子、モットーは「諦めない」こと

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紫原 政文

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紫原 政文
Q.01 自転車界のスーパースター中野浩一選手の後輩ですね。競輪選手になるにあたって影響を受けましたか。

小学生の頃、同郷の久留米出身の中野浩一さんが、自転車の世界選手権で世界一になりました。1億円プレーヤーとしても活躍していましたから、とにかく地元では大騒ぎだったんです。子ども心にその存在は大きくて、中野さんは夢のような人でした。その影響もあって、当時の学校の文集に「夢の1億円プレーヤー目指して」と書いた記憶があります。

でも、もともとは競輪選手を目指していたわけではありませんでした。中学、高校は陸上部だったし、将来は建築設計技師になりたかったので工業高校に進学しました。たまたま偶然ですが、その高校が中野さんの母校で、しかも同じ陸上部だったんです。

陸上の練習をしていると、時々、中野さんが練習を見に来ていました。ポルシェやBMWに乗ってね(笑)その姿があまりにも輝いていてかっこよくて・・・。絶句しました。その一瞬が今でもよみがえるくらい印象的です。そこから、「陸上よりも競輪の方がいいなぁ」となんとなく思い始めたんです。

Q.02 どのような経緯で中野浩一選手のもとへ弟子入りするようになったのですか?

陸上部の監督は、中野浩一さんがいた当時の監督と一緒だったんです。監督のお兄さんも競輪選手ということもあってね。高校2年生の夏頃かな、「自分は競輪選手になりたい」ということを監督に相談して、いろいろとアドバイスを頂いたんです。監督曰く、「やるからには、ちゃんと指導してもらったほうがいだろう」ということになって・・・。何人か候補がいたのですが「やっぱり、中野やな」と(笑)

まあ、いきなり弟子入りしたわけではなくて、親父が中野さんに見初められたのかな(笑)親父は相当厳しくて気合いの入った人だから、「あの親父の息子なら大丈夫だろう」ということで受け入れてもらえたんだと思いますよ。
もともと、親父は競輪選手になりたかったんです。だから、自分のことのように喜んでくれて、「競輪選手になりたい」と言った翌日には車を買い替えてしまった。一緒に練習できると言いながら、ローラーをつけたりもしていましたよ。ホント、例えて言うと「巨人の星」の星一徹のような感じ(笑)。

でも、いまだに親父との練習は続いているんです。今年で選手生活が21年目に入って、親父は74歳になりました。あまり普段の会話はありませんが、自転車のことで悩んでいるときは真剣に話す。練習の状態で調子のよしあしもわかってくれるし、成績不振のときも「あまりいろいろ考えんで、思い切りいけば絶対やれるから」と励ましてくれるんです。それが自信につながりますね。
ただね、いまだに親父はこわい存在ですよ。自分は41歳にもなるのに、口ごたえできないですから(笑)

Q.03 ベテランの紫原選手にとって、長い間競輪を続けてこられた原動力は何だったんでしょうか。

グランプリに出場したい目標を持って走っているのに、上のクラスで戦うほど、負けて、負けて、負けて・・・とつらい時期が続いたことがありました。勝てない上に、年も取る。他の選手と比べて力もなければ、この先チャンスにも恵まれないかのもしれないなんて、すごく弱気になってしまったこともありました。
そんなときに支えとなるのは、やはり家族の存在ですね。「もうだめだ」と思ったときに、そこに家族がいる。自分の背中を押してくれるような気がしているんです。 特に子どもの存在は大きいです。自分が親父なのだから「あきらめたら、いかんちゃ」と思うし、弱気ではいられなくなりますから。子どもから教えられることが多いというのは本当ですよね。

今となっては有名な話になってしまいましたが、『最後まであきらめないぼく』という息子が書いた言葉。何気なく書いた言葉なのでしょうが、自分にとっては「お父さん、がんばれ」って、ばしっと頭を殴られたような気持ちになりました。そのお陰で今の自分がある。でも、自分がインタビューでこの話を言い続けていたら、逆に子供がプレッシャーになっているみたいで…。ちょっとかわいそうです(笑)

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