競輪祭の始まりは競輪誕生と同じ小倉競輪場であった。1951年5月に行われた特別競輪選定委員会で競輪祭は特別競輪となり、第1回開催は競輪発祥の地である小倉競輪場で、競輪誕生3周年を記念して1951年11月21日~26日に開催された。
第1回の開催の前からすでに各地競輪場で"競輪祭"というタイトルが使われていたが、「競輪祭は競輪発祥を記念するため、事あるごとに小倉競輪場において実施する」という通商産業省(現:経済産業省)の通達により他地区で"競輪祭"というタイトルを使用しないことが決められた。その後競輪祭は、第2回開催~第5回開催を競輪誕生5周年、7周年、10周年、15周年と事あるごとに行われた。
1963年第5回開催からは新たに「全日本新鋭王座決定戦」が行われた。この新たな開催に伴い、今まで6日制で行われていた競輪祭が2つの開催に分けられ、1開催目に「全日本新鋭王座戦」が3日間行われ、数日空いて2開催目に『全日本競輪王座決定戦』が3日間行われた。これらの選抜方法は、全国記念競輪の成績上位者であり、「全日本新鋭王座決定戦」は在籍10年未満の選手、『全日本競輪王座決定戦』は在籍10年以上の選手の中から各上位者より品性及び走行技術が優秀な選手を選抜した。
競輪祭は第5回開催まで事あるごとに行われてきたが、「年に一度、競輪発祥を記念する特別競輪を設定したい」という関係者の強い希望があり、1964年4月に行われた特別競輪運営委員会において運営要綱が一部改正され、1964年第6回開催の競輪祭からは、競輪が誕生した日である11月20日を中心に毎年小倉競輪場で開催されることになった。
年1回の開催になってからも競輪祭は、6日間を2つの開催に分けて、「全日本新鋭王座戦」と『全日本競輪王座戦』が行われてきたが、1966年第8回開催からは「全日本新鋭王座戦」は「全日本新人王決定戦」と名前を変えて開催された。
競輪祭は第5回開催から6日間開催を2つの開催に分けて行われてきたが、1979年第21回開催からは6日間連続の開催に変わり、「全日本新人王決定戦」が初日から4日間、「全日本競輪王決定戦」が6日間となって初日から両開催の予選が併せて行われた。
また、同年の開催から初日に特別選抜競走が1レースと2日目にダイヤモンドレースが実施された。当該レースに出場する選手は、直近1年間に開催された記念競輪の優勝回数が多い選手18名が選ばれた。
第1回開催の競輪祭から開催場とされてきた小倉競輪場が、1996年7月に全天候型屋内競輪場である北九州メディアドームへと生まれ変わり、1998年第40回開催から競輪祭の新たな開催場として使用されることとなった。
また、第1回開催から競輪祭は6日制で行われてきたが、1999年第41回開催からは特別競輪等の運営見直しによって4日制に変更された。4日制になったことにより、初日の特別選抜競走が1レースから3レースに増え、2日目のメインレースとしてダイヤモンドレースを行う現在の概定と同じ形になった。さらに、今まで4日間にわたって行われてきた「全日本新人王決定戦」が一発勝負で開催されることになった。
2001年4月から始まったグレード制により、競輪祭はGIに格付けされた。また、それに伴う日程調整によって、第1回開催の競輪祭から11月に行っていたものを、2002年第43回開催からは1月に移行され、さらに朝日新聞社の冠レースとなったことで名称が『競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦』に変わって実施された。
第5回開催から形を変えながら行われてきた「全日本新人王決定戦」も、このグレード制導入に伴い第42回開催が最後の開催となった。
2009年第51回開催からは特別競輪等の見直しにより再度開催月を11月に戻し、名称を今と同じ『朝日新聞社杯競輪祭』に変えて開催された。 しかし、特別競輪等の見直しが行われたのは2009年度であったため、2009年は1月と11月の2回開催があった。そのため、そこで優勝した両選手にKEIRINグランプリ'09の出場権が付与されることとなった。
昼間開催に来場が困難な方にも、来場の機会を与えるという目的で1998年からナイター競輪が実施された。また、2017年4月に川崎競輪場で初のGIIIナイターが開催されたことでナイター競輪がより拡大されていた。そこで、2018年第60回、競輪発祥70周年を祝う競輪祭で初のナイター開催が実施され、4日制が6日制になったことで、現在の朝日新聞社杯競輪祭が誕生した。
