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韓国競輪誕生のきっかけは、1988年に行われたソウルオリンピックにさかのぼります。ソウルオリンピック委員会は、ソウル市内・蚕室(チャムシル)の広大な敷地にオリンピック公園として自転車競技場をはじめ各種競技用の施設を建設しました。オリンピック終了後、この自転車競技場を有効活用するため1991年12月31日に「競輪・競艇法」を制定し、競輪事業への本格的な取り組みが始まりました。
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オリンピック開催用に作られたバンクはアフリカ産の木製で雨や雪に弱いため、競輪開催用に改修されました。また、車券発売用の機器や審判用センターポールカメラの設置、執務関係者の研修、選手や審判の養成などが急ピッチで行われました。審判員の養成は日本競輪学校で行われています。
そして法律制定から約4年後の1995年10月15日、チャムシル競輪場がオープンし、韓国競輪の歴史が始まりました。初日の入場人員は約2000人、7個レースで行われ賭式は単勝・複勝式のみで行われました。初日の売上は日本円で約130万円とそれほど大きな注目が集まったというわけではありませんでした。
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しかし、ここから韓国競輪は大きな成長を遂げることになります。その大きな原動力は場外車券売場の設置です。日本と同様に韓国でも場外車券売場の設置を推進しましたが、大きく異なるのはその設置場所。東大門(ソウル屈指の繁華街)のファッションビル内や結婚式場内など集客力がある場所に場外車券場を設置し、新規顧客の獲得や利便性の向上などを図りました。これにより毎年売上を伸ばし、「競輪中毒」という言葉が生まれ社会問題化するほどの爆発的な人気を獲得しています。 |
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この人気を背景に、2000年12月8日韓国南部の昌原(チャンウォン)市にチャンウォン競輪場が二つ目の競輪場としてオープンしました。チャンウォン競輪場はグリーンドーム前橋をモデルとして建設されたドーム型競輪場です。ソウルの冬はとても厳しく、チャムシル競輪の開催も冬季は行われていませんでしたが、チャンウォン競輪場はドーム型なので冬季でも開催可能です。そこで冬季はチャムシル競輪場および各場外車券売場でチャンウォン競輪の場間場外を行うことになり、ますます売上を伸ばすことになりました。
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さらに三つ目の競輪場として、2003年11月15日韓国南部の釜山(プサン)広域市に釜山競輪場がオープンしました。釜山競輪場は西武園競輪場をモデルとしており、2002年に釜山で行われたアジア競技大会の自転車競技場を転用したものです。2005年10月7日には釜山で初の場外車券売場を繁華街に設置し、さらに競輪の人気が高まっています。
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一方、チャムシル競輪では2005年からナイター競輪を実施し、またインターネット投票も試験的に導入しています。さらに、ソウルに隣接する光明(クヮンミョン)市で小倉競輪場をモデルとしたクヮンミョン競輪場を現在建設中で、ソウルでの競輪開催をチャムシル競輪場から移転する計画となっています。また、この移転に伴いレースを9車立てとし日本のようなライン戦を導入する計画となっているようです。
このように、韓国では競輪事業が始まってからまだ10年しか経過していませんが、すでにレジャースポーツとして人気を獲得し、韓国市民の生活の中に溶け込んでいます。 |
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