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INTERVIEW S級S班独占インタビュー

山崎 芳仁

デビューしてから不調やケガなど挫折を感じた時期はありましたか?

一番辛かったのはアマチュアの時です。なかなか競輪学校の試験に受からなくて・・・。結局5回受験したんですけど、その時期が一番辛かった。先がまったく見えないのが不安でした。

どのような経緯だったのか、教えてください。

競輪選手になるのが子供の頃からの夢だったので、高校時代は自転車が強い高校に入りました。でも高校を卒業する年の競輪学校の受験は見送ったんです。高校では中長距離のロード練習ばかりでしたし、スピードがなかったので、どうせ受からないだろうと思ってました。それで次の年から本格的に受験しましたが・・・。結局合格するまでに5年もかかってしまいました。

競輪学校受験のときの状況は?

84回生と85回生は、実技は通りました。でも、3回目の86回生は一次試験で落ちてしまいました。次の半年後の4月に受け直そうと思って気合を入れて練習をしていましたが、その年から試験が年1回となってしまい、ポッカリ空白があいたんですよ。

そうしたら気持ちが切れちゃったんですよね。さらに悪いことに、自分を応援してくれていた爺ちゃんが試験の直前に亡くなりました。一次試験と葬式が重なるか重ならないかぐらいの時期で、精神的にも辛くて練習もろくにできなかった。

もう競輪選手になるのは諦めようと思いました。家業のトラックの運転手をやればいいやと 思って。

そのとき、添田師匠と親に強く引き止められました。とりあえずやめるな、もったいないって。まあ確かに今まで頑張ってきたことだし、せっかくだから87回生に受けました。その時に、受かりそうな感覚をつかめた。じゃあ88回生も受けてみよう、って気持ちになって。それで受験をはじめて5年目の88回生にようやく受かったんです。

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諦めようと思ったのは、受からないかもという気持ちになったからですか?

いや、受からないからということではなく、「気持ちが切れてしまった」という事が一番大きかったです。4月までは猛練習していたんですけど、試験が1年に1回になっちゃうって聞いた時に、やる気がなくなった。というか、せっかく気合入れてそこまで追い込んでたのに、自分の中のスケジュールが狂ってしまった。それでまた1から作り直すのか……って脱力したんですよね。そして身近な人の死。正直、最悪のモチベーションでしたね。

どうやって精神的に苦しい状況から脱することができたのでしょうか?

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やはり周りの支えがあったからこそですね。両親と師匠に説得されて、よし頑張ろうって思いました。やめようという気持ちを切り替えた後は、どうせなら年齢ぎりぎりまで受けてやろうって気持ちになりました。逆に焦りがなくなった。次の年に受かってやろうっていうよりは、とりあえず24歳まで受験し続けてみよう、って。

今までは「今年は絶対!」って思っていたけど、その切羽つ まった気持ちがなくなった分、気楽に走れたっていうのはありましたね。それが逆によかったのかもしれない。それまで親のためとか師匠のために早く受かんなくちゃ、って思っていたのが今思えば逆効果だったのかもしれません。

辛い時期を乗り越えて選手になってからはいかがですか?

実は、選手になってからは特にないんです。競輪選手になるという目標を達成することができて、選手になれたってことで満足できている部分もあると思います。これまでの人生で、あの受験の時以上に辛いと思った時期はありません。

試験を受けていた頃は、落ちたことが分かってからの1年間がすごく長かった。でもプロになった今は次の競走までのスパンが短いですからね。今日負けても明日にチャンスがある。負けても次のレース開催までに頑張ればいいですから。

ただ今年は、震災という外的要因で競輪に集中できない部分もあった。地元福島で練習できなくなったりね。でももう、環境が変わった以上仕方がないと。あきらめですよね。それで、これは神様が休めって言っているんだなって思うことにしたんです。4年間頑張ったからいいんじゃないって。今はそういう気持ちですね。やっと練習場所も見つかってきて、環境にも慣れてきたから、これからって感じです。

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挫折を乗り越えるために何が必要だったと思いますか?

そうですね、気持ちの持ち方の問題だと思います。「別に死ぬわけじゃない」と思えば、大抵のことは大したことないんですよ。死ななければ、次がありますもん。悩みなんてちっちゃいことなんです。もともと、僕はあんまりプライドがないと言うか・・・。生きてること自体がプライド。競輪には勝ち負けがありますけど、人生は勝ち負けじゃないと思う。なので、普段の生活ではあまり勝ち負けにこだわらないですね。どっちかっていうと、大きいところを見るようにして、小さなところは気にしない。僕は僕だし、人は人。他人に腹が立つということもありませんね。「(お前が)怒らないとダメだよ」って言われても「そうかな?」って感じ。僕を知っている人からは「悟りを開いているようだ」とよく言われます(笑)。マイペースなんですよ。常に自然体でいる。そういう気楽な気持ちを保つことが意外と強さになっているのかもしれないですね。

今後の意気込みはいかがですか?

正直今年は精一杯練習して、それでだめなら仕方がないって心境です。震災後、宮古島に移動して、最初の3か月はいろいろな雑務で忙しかったんですよ。あと、練習ばっかりしていました。その頃は趣味の時間を持つ余裕もなくて、遊びの部分がなくなってたんです。それが逆効果で、疲れがたまって体もギアも重く感じていました。

でも新しい生活にも慣れ、精神的に余裕が出てきて、たまにはゴルフをしたり、マッサージにも行くようになったら、競走でも気持ちが軽くなってきたんですよ。練習ばっかりもだめですね。趣味の時間を確保したり、生活を安定させたりすることが、レースにも良い影響を与えるんだっていうのを身体で感じました。この調子で上がっていって、競輪祭で優勝したいですね。

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山崎 芳仁選手・2011年のキーワード

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「初心」
昨年あたり、「車券に貢献しなければいけない」というプレッシャーが重くなっていた時期があり、ずっと精神的に疲労していたこともあって「初心」にしたんです。だんだん競輪が楽しくなくなってきちゃったんです。強くなろうと思っていた気持ち、ずっと抱いていた子供の頃からの競輪選手への夢や憧れの気持ちを忘れそうだったんです。

そこで、毎年お正月に必ずお参りする神社で、「今年も頑張ります。初心に帰ります」ってお参りしたんですよ。でも初心どころか、震災で完全なゼロになっちゃった(苦笑)。正月はいつも願掛けしてて、今までずっとその通りになってるんですよ。「タイトルお願いします」って言った時にはタイトルとれたし。今年もここまでしなくてもいいのにと思うぐらいお参りの効果が出ちゃいました(苦笑)。

でも、まさにゼロスタートになって、本当に今年は「初心に帰れ」っていう神様の教えなのかなって思うんですよ。震災で失ったものを考えれば、生きているだけでオッケーだって思えますから。来年はまた気合を入れ直さないと。とりあえず次は、初詣でタイトルをお願いしてこようと思います。ダービーだけ獲ってないので、ダービー狙いたいですね。初心に帰って頑張ります!