父親が競輪ファンで、競輪場によく連れて行かれてたんです。それで、高校の時にやってみるかと勧められて自転車を始めました。どちらかといえば、強制的に「やれ」って感じでしたね(笑)。父は多分、ずっと競輪選手になってほしいと思ってたんですよね。兄も競輪選手(坂本健太郎選手)だし、自分もスポーツが好きだったので自然な流れで。幼稚園の頃から、プロスポーツ選手になりたいっていうのは決めていたんです。アニキは競輪がもともと好きで自転車を始めたんですが、自分は最初はそうではなかった。
中学校までは、水泳、陸上、バスケなど、野球以外のいろいろなスポーツをやりましたよ。学生時代は、体育の時間だけ張り切るタイプ(笑)。中学時代は陸上部とバスケ部をかけもちでこなしたりもして。どの種目でも負けたくなくて、全部頑張ってましたね。バスケも好きだったんですが、僕の学生時代はプロバスケがまだなかったので、プロをめざすなら競輪かなと思って、高校から自転車一本に絞りました。
野球だけは、小さい頃から本格的にやってる人も多いじゃないですか。だから、あとから始めるとさすがに追い付けないなと思って。今だから言えますが、負けるのが嫌という理由で野球だけは体育の時間もさぼってました。「やったら俺にもできるよ」って言いながら(笑)。負けず嫌いなんですよね。スポーツではほとんど負けたことはないんですよ。中高の時には、球技大会でいろいろ違う種目に出て全部優勝。スポーツでは絶対負けない、とにかく1番じゃなくちゃ嫌だったんです。
走るのも速かったので、幼稚園と小学校ではモテました(笑)。背も高くて、中1で170cmぐらいありました。中学時代は、体育祭と球技大会の翌日は告白されたりして。やっぱり、スポーツできる男子で良かったと(笑)。でも最近の小学生アンケートを雑誌でみたら、最近はスポーツができる人よりも頭がいい人のがモテるらしいですね。生まれた時代が違って良かった~(笑)。
でも、中学の頃は硬派で通していたので、告白されても全部断ってたんですよ。今思えば本当に勿体無いことしました(笑)。高校では男子校だったので、球技大会の楽しさも半減でしたね。得点しても、中学まで「キャー!」って黄色い声援だったのが、「ウイー」って野太い声に変わっちゃって(苦笑)。まあ、そのお蔭もあって、高校時代は朝から晩まで自転車に集中できました。
高校で自転車を始めてからは比較的順調だったと思います。1年生のうちに3年生と同じようなタイムも出せるようになって。ただ、1年の冬に骨折して、全国大会とかに名前が出てくるのは遅かったですけど。でも、その後は優勝するようにもなっていきました。でもある時、種目をスプリントからケイリンに転向しなくちゃならなくなったんです。というのも、同県のスプリント選手として北津留(翼選手)がいたからなんです。全国大会で優勝を狙えるタイムを出せても、北津留(選手)が強いので県大会を突破できないんですよ。負けず嫌いですから、正直ムカつきました(笑)。あとになってから、北津留(選手)に直接「正直、俺が全国大会出ても優勝できたと思う?」って聞いたことがあるんです。そしたら「5回ぐらいはできたんじゃない?」って言われて。世代が違えば僕もスプリントで全国狙えたのになあって思います ね。種目を変えてから全国制覇もできましたけど、花型のスプリントでそれができなかったのは悔しかったですね。
そもそも勧められたのがきっかけで始めた自転車だったので、好きとか楽しいって気持ちは最初は薄かったですね。だから練習やりながらも、好きっていうのはそれほどなかった。でも元々ダッシュ型だったので、捲ったり、ぶっちぎったりした時に体感するスピードは気持ち良かったですね。それで、とにかくちぎる練習をしたりして。そういうのは楽しみながら取り組んでました。
競輪学校での自分の隠れテーマは、実は「目立たずサボる」だったんです(笑)。競輪学校では、怪我や体調不良で休んでもよい上限が決まっているんですよ。でも、自分は怪我や風邪を理由に、キッチリ休める回数全部休みました(笑)。木曜にやる5キロサーキットが苦手でした。で、水曜の夜に自主練をやってたら先生がきて「おまえ、明日休むつもりだろ」と言われて内心焦ったりして(笑)。「競輪学校は厳しい」とよく言われますけど、自分の場合、高校がすでにスパルタ校でかなり鍛えられたので、厳しいという意味では競輪学校はまったく辛くなかったですね。ただ、街道練習は高校時代からやったことがなかったので、それは苦手でした。あと、周回練習も苦手でしたね。卒業後に周回練習で先輩と練習したりする時には、50周って言われる所を「20周でお願いします」って値切ったりしてました。
厳しかったですね。練習のタイムでいったら、S級1班の選手を越えるぐらいのタイムが出せていました。だから、デビューしてすぐに3場所でS級に昇格できるだろうって思ってたんです。でも実際には違いましたね。レースで走ってみると全然タイムも違うし、ぶっちぎって逃げ切りもできなくなってきた。結局、特進にも1年かかりましたし、本当にプロは厳しいなと思い知りました。
プロになってわかったのは、レースに対する意識の差ですね。練習でそれほど強くないと思わせる人でも、本番になると気持ちの強さで引っ張っていく。気持ちの強い人はレースでも強いなと思います。プロになってしばらくして、なかなか勝てなくなったのを感じました。それで、1年目ぐらいから改めて本気で練習に取り組みました。朝6時から夜10時ぐらいまでずっと自転車の練習するようになったんです。そうしたら、それからすぐに特進もできました。練習量と結果はやっぱり比例するのかと痛感しました。
すごく仲良しですよ。以前、レース前のコメントで浅井(康太選手)さんに対して「じかに競り」って出したんです。そうしたら周りから「仲悪いの?」って聞かれたりして。勝負は勝負なので、仲の良い同期であってもレース中はキッチリ戦います。でもレース後はすぐにフレンドリーに接してます。90期の仲間はみんなそんな感じです。刺激し合える大切な仲間ですね。
ファンサービスや練習への取り組みは、以前からやってきましたし、それほど変わらないです。でも、周りの目は変わりましたね。勝って当然って思われるプレッシャーを感じました。ただ、そのプレッシャーが責任感にもつながるので、これからもプレッシャーは感じていたいですね。今年前半は怪我などで思うようにやれない事も多かったので、これからS級S班らしく戦えればと思います。全部のレースで優勝できるように、毎回1着を狙っていきたいです。